川田順造
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かわだ じゅんぞう川田 順造
文化勲章受章に際して
公表された肖像写真
生誕 (1934-06-20) 1934年6月20日(89歳)
日本東京府
居住 日本
フランス
オートボルタ
国籍 日本
研究分野人類学
研究機関埼玉大学
東京外国語大学
広島市立大学
神奈川大学
出身校東京大学教養学部卒業
東京大学大学院修了
主な業績非文字コミュニケーションの研究
口頭伝承論を創始
文化の三角測量を提唱
主な受賞歴日本エッセイスト・クラブ賞
(1974年)
藤村記念歴程賞
(1988年)
フランス語圏大賞
(1991年)
毎日出版文化賞
(1992年)
プロジェクト:人物伝
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川田 順造(かわだ じゅんぞう、1934年6月20日 - )は、日本人類学者文化人類学)。勲等文化勲章学位は、博士パリ第5大学)。東京外国語大学名誉教授、広島市立大学名誉教授。文化功労者

埼玉大学助教授東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授、広島市立大学国際学部教授、神奈川大学日本常民文化研究所特別招聘教授などを務めた。

サバンナでモシ族と生活をともにするなかで、言葉や音楽が西洋的概念だけでは律しきれないことを実証。著書に、文字にしたのでは消えてしまう声を記録分析した『聲』(1988年)のほか、『富士山と三味線』(2013年)など。
経歴
出生から修学期

1934年、東京都深川で生まれた[1]暁星中学校大学入学資格検定を経て、東京大学教養学科理科U類から文化人類学・人文地理学分科に進学[1]。1958年、同学科卒業後、同大学大学院生物系研究科人類学専攻へ進学[1]。在学中、フランス政府給費留学生として、パリ高等研究院第6分科へ留学[1]。1965年に帰国し[1]、大学院を単位取得退学[1]
文化人類学者として

東京大学教養学部人文科(文化人類学)助手に就いた[1]。1966年、埼玉大学教養学部助手となった[1]。1970年、埼玉大学を退職[1]。1971年、パリ第5大学へ学位論文を提出し、民族学博士号を取得[1][2]。1976年、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助教授となった[1]。1984年、同教授に昇格[1]。1997年、東京外国語大学を停年退職[1]。その後は、広島市立大学国際学部教授として教鞭をとった[1]。また、神奈川大学日本常民文化研究所特別招聘教授も務めた[3]神奈川県湯河原町に在住。

学界では、2021年より日本民俗学会名誉会員[4]
受賞・栄典
受賞


1974年:『曠野から』で
日本エッセイスト・クラブ賞を受賞[1]

1988年:『聲』で藤村記念歴程賞を受賞[1]

1991年:アカデミー・フランセーズフランス語圏大賞のメダルを授与[5]

1992年:『口頭伝承論』で毎日出版文化賞を受賞[1]

栄典


1995年 - フランス共和国政府より教育功労章[1]

2001年 - 紫綬褒章[3]

2009年 - 文化功労者[3]

2010年 - 瑞宝重光章[3]

2017年 - ブルキナファソ政府文化功労章[3]

2021年 - 文化勲章[6]

研究内容

主としてアフリカを対象として民俗学的調査を行い、数多くの著作を著している。文化人類学の普及にも努め、クロード・レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』の翻訳でも知られる。

語りや音楽などによる非文字コミュニケーションの研究において「口頭伝承論」の領域を切り開き[3][6]、ヨーロッパ、西アフリカ、日本の3つの文化を比較考量する「文化の三角測量」を提唱した[6]
著書
単著


マグレブ紀行』(中公新書, 1971年)

復刊 1999年


『曠野から―アフリカで考える』(筑摩書房, 1973年)

中公文庫, 1976年


『無文字社会の歴史―西アフリカ・モシ族の事例を中心に』(岩波書店, 1976年)

岩波同時代ライブラリー, 1990年

岩波現代文庫, 2001年


『サバンナの博物誌』(新潮社新潮選書〉, 1979年)

ちくま文庫, 1991年


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