川添象郎
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川添 象郎(かわぞえ しょうろう、1941年1月27日 - )は、日本音楽プロデューサー。別名・川添象多郎。
人物

父は東京飯倉(現:港区麻布台)にあるイタリアンレストラン「キャンティ[1]を創業した川添浩史(本名・紫郎、旧姓・後藤。川添家の養子となる)、生母はピアニスト原智恵子(浩史と離婚後、チェロ奏者ガスパール・カサドと再婚)。

祖父は鈴木経勲と共に日本で初めて南洋群島を探検した後藤猛太郎日活の前身・日本活動フィルムの初代社長)。明治の元勲後藤象二郎は曽祖父に当たる。

初婚の相手は歌手の沢村美司子[2]。その後沢村との離婚、別の女性との結婚・離婚を経て1981年風吹ジュンと結婚。風吹との間に1男1女をもうけるも、1992年に自身の不倫が原因[3]で離婚。その後、「地上げの帝王」こと早坂太吉(最上恒産社長)の愛人だった小出明子と再婚し男児をもうける。明子は 林真理子の小説『アッコちゃんの時代』の「アッコ」のモデルとなった[4]。その後、荻野目慶子との不倫を報じられたことで、まもなく別居[3]。2007年に整体師の女性と再婚[5]

なかにし礼の実名小説『世界は俺が回してる』に主人公・渡辺正文の親友として川添が登場している。

2022年7月、回想録などを残さなかった川添家では初めての自伝となる『象の記憶』を上梓。
経歴
生い立ち

女優・加賀まりことは幼馴染という。慶應義塾幼稚舎慶應義塾中等部を経て慶應義塾高等学校に進んだが、カトリックの信仰を持つ実母・原智恵子の意向でラ・サール高等学校に転校。ラ・サール在学中、1959年4月26日に母とガスパール・カサドの婚約が発表され、父により東京に呼び戻されて和光高等学校に転校[6]。和光高校卒業後、すぐにマグナム・フォト写真家ルネ・ブリやデニス・ストック(英語版)等の来日時にアシスタントとして就く。
舞台芸術

1959年、舞台芸術研究のために渡米し、ラスベガスで働く。1960年にはニューヨークに移り、フラメンコギタリストとして過ごす。またオフブロードウェイの前衛ポエトリーダンス『六人を乗せた馬車』(『フィネガンズ・ウェイク』の翻案)に参加し、作曲家の伊藤貞司とともに楽器演奏を担当する[7]。この作品で脚色と舞台監督を務めた振付師ジャン・アードマン(英語版)がオフブロードウェイの作品に与えられるオビー賞の特別引用賞を1963年に受賞した[8]

この作品はその後も[9]アメリカおよびヨーロッパ各地の舞台演劇祭などで上演され、1964年には、当時前衛芸術の拠点であった草月会館にて日本公演を行った。さらにこの時期にスペインに渡り、帰国後、フラメンコの舞踏団を結成した[10]

このような経験を基に、芝高輪・光輪閣代表として国際文化交流事業を行っていた父・川添浩史の活動に参加。1961年シアトル万国博において「文楽」の初のアメリカ公演のステージマネージャーを担当。1969年、ミュージカル『ヘアー』来日公演のプロデューサーを務める。1970年2月[3]、『ヘアー』の打ち上げで出演者と大麻パーティを開いて逮捕され、これにより『ヘアー』日本上演は途中で打ち切りとなる[11]。この事件では執行猶予つきの有罪判決を受けた。執行猶予期間中にも大麻取締法違反で逮捕(2回目)され、懲役8ヶ月の実刑判決を受け、前橋刑務所で服役した[3]
音楽プロデューサー

1970年、村井邦彦ミッキー・カーチス内田裕也、木村英樹と共に音楽レーベル『マッシュルーム』を創立。小坂忠ガロといったアーティストを輩出する。その後、村井邦彦と共にアルファレコード1977年に立ち上げ、音楽プロデューサーとして、荒井由実(松任谷由実)やYMOといった社会現象を巻き起こすようなビッグアーティスト達を世に送り、数多くのヒット曲を生み出した。

ファッション関連ではイヴ・サンローランの日本代表やピエール・カルダンのライセンス開発を手掛け、同時にその他の様々な分野でアーティストのマネージメントやプロモーション活動を行う。 特に日本人アーティストの海外への紹介には積極的で、YMOの世界公演を実現し、絵画芸術の分野では画家・今井俊満の海外プロモーション等の活動を行っている。
空間プロデューサー

バブル景気期の1980年代半ばには、空間プロデュースや外国人エグゼクティブを相手にした家具リース業など[12]を手掛けた。余談だが、尾崎豊は死去する前日、川添がプロデュースした後楽園のビアガーデンのオープンパーティーに青山学院高等部時代の友人たちと参加している(1992年[13]
音楽プロデューサーに復帰

その後、再び音楽プロデュース業に復帰し、SoulJaをプロデュース。ヒット作『ここにいるよ』などを世に送り出す。2008年リリースの青山テルマ feat.SoulJaそばにいるね』 をプロデュースし、同作は日本で最も売れたダウンロードシングルとして、ギネス・ワールド・レコーズに認定された。2011年にレコード大賞作詞賞を受賞した、ふくい舞いくたびの櫻』をプロデュース。
川添門下

小出明子と再婚後に誕生した男児、川添大嗣が部屋住み書生としてプロデューサー修行に入る[14]。同時期に、サントリー・ジアスをともに制作した坂井直樹の教え子である泉志谷忠和を指導している[15]
主なプロデュース実績
音楽・レコードプロデュース
YMO


ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』(1979年、エグゼクティブ・プロデューサー)

公的抑圧』(1980年、エグゼクティブ・プロデューサー)

X∞増殖』(1980年、エグゼクティブ・プロデューサー)

BGM』(1981年、エグゼクティブ・プロデューサー)


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