川本宇之介
誕生 (1888-07-13) 1888年7月13日
兵庫県武庫郡精道村(現・芦屋市)
死没 (1960-03-15) 1960年3月15日(71歳没)
職業教育者
国籍 日本
最終学歴東京帝国大学文科大学(選科)
代表作『聾教育学精説』(1940年)、『ろう言語教育新講』『総説特殊教育』(1954年)
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川本 宇之介(かわもと うのすけ、1888年(明治21年)7月13日 - 1960年(昭和35年)3月15日)は大正時代から昭和時代にかけての日本の教育者。
東京市および文部省の職員を経て東京聾唖学校(筑波大学附属聴覚特別支援学校の前身)、東京盲学校(筑波大学附属視覚特別支援学校の前身)両校の教諭となり、のち東京聾唖学校長、国立ろう教育学校長兼附属ろう学校長、東京教育大学国府台分校主事を歴任した。昭和初期のろう教育において、手話を否定し純粋口話法
による教育を推進した人物のひとりである(同じ時期に口話法を推進した人物として、西川吉之助、橋村徳一らがいる)。また、近代日本での教育として、「教育の社会化と社会の教育化」論を展開した。『聾唖教育学精説』(1940年)にて、以下のような手話批判論を展開した。
手話語は自然表出運動に基づき、人類の言語としては最も初歩的で、幼稚なるものである。
手話語は多義であり変化し易い。したがって意義が曖昧になる懼れが多い。
手話語は直観的であり思想を直截簡明に、絵画的に表現することは容易であるが、抽象概念を表現することは困難である。
手話語は思考を論理的になすことを困難ならしめ、したがって文を論理的になすことを困難ならしめ、論理的表現を完全ならしめない。
手話語はそれ自身には、一つの語法があるかも知れぬが、その語法は如何なる国語とも一致することはない。
手話語は殊に時間空間、原因、結果等の事物の関係、物の属性、殊に人間の関係を明瞭に表現すること困難である為、甚だしきは、その文は文をなさず、語法の紛更を来し、屡々語の羅列となることがある。故に聾児の思考力を発達させることに貢献することが少ない。
斯くの如くであるから、手話語は各国の国語とは、全くその体系を異にする。異種の体系語と結合して教授しても聾児の使用する国語は、あたかも木に竹をついだ様になる傾向が甚だ強い。したがって自ら、聾児に文の理解力を盛にし、読書力を発達させることを、甚だ困難ならしめる。
この手話批判は、口話法全盛期にはろう教育者の間で支配的であった。現在では手話は音韻構造および文法を持ち、音声日本語とは異なる独自の体系を持つ「言語」であることが一般に認められており、上述の批判は既に的外れなものとなっている。また、「手話で抽象概念を表現することは困難である」という主張に根拠がないことは、木村晴美らも明らかにしている。 川本記念口話賞は、川本宇之介の退職記念に設立された。この賞は口話を身につけ、ろう学校を優秀な成績で卒業した生徒を表彰するものであったが、「口話法という観点のみで捉えて、優秀な学業成績の生徒を表彰することの矛盾」などが認識され、1999年に表彰事業が停止された。
川本記念口話賞
著作
著書
『公民教育の理論及実際』 大同館、1915年11月
『最新思潮 職業教育の研究
『補習学校の組織及経営