川崎車両
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日本貨物鉄道(JR貨物)の「川崎車両所」とは異なります。
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川崎車両株式会社
Kawasaki Railcar Manufacturing Co., Ltd.
種類株式会社
略称川重、川車、川崎重工
本社所在地 日本
東京本社 〒105-0022
東京都港区海岸一丁目14番5号
神戸本社 〒652-0884
兵庫県神戸市兵庫区和田山通二丁目1番18号
設立2021年3月10日
業種輸送用機器
法人番号7140001120776
事業内容各種鉄道車両、鉄道システムおよびそれら部品の設計、開発、製造、修理ならびに販売および賃貸借に関する事業
代表者代表取締役 村生 弘
資本金96億8500万円(2021年10月1日現在)
売上高880億7300万円
(2023年3月期)[1]
営業利益▲21億6800万円
(2023年3月期)[1]
経常利益▲21億5100万円
(2023年3月期)[1]
純利益▲8億0700万円
(2023年3月期)[1]
総資産1204億6500万円
(2023年3月期)[1]
従業員数1,535人(2021年10月1日現在)
主要株主川崎重工業 100%
主要子会社

アルナ輸送機用品株式会社

株式会社NICHIJO

外部リンクhttps://www.khi.co.jp/rail/
特記事項:2021年10月1日付けで川崎重工業車両カンパニーの事業を譲受して事業開始
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兵庫工場上空から見た兵庫工場(中央)

川崎車両株式会社(かわさきしゃりょう、: Kawasaki Railcar Manufacturing Co., Ltd.)は、日本鉄道車両メーカー。川崎重工業株式会社の子会社。

2021年3月10日に分割準備会社として設立され、同年10月1日に川崎重工業の社内カンパニー(川崎重工業車両カンパニー)の部門を簡易吸収分割により譲受(事実上の分社独立)して事業を開始した。本社は川崎重工業と同じく東京本社(東京都港区海岸)と神戸本社(兵庫県神戸市兵庫区)の二本社制を引き継ぐ。生産拠点は神戸本社に隣接した主力工場の兵庫工場のほか、北米(ネブラスカ州リンカーン)にも工場がある。
概要

川崎造船所時代の1906年明治39年)に鉄道車両の生産を開始し、翌1907年(明治40年)11月に南海鉄道(現・南海電気鉄道)向け電1形木製電動客車(電車)3両が同社で初めて製造した鉄道車両である[2]客車の他に蒸気機関車の製造も早くから手掛け、大型蒸気機関車の国産化では、のち自社と合併した汽車製造と並んで日本の民間メーカーの中でも先駆的役割を果たし、高い技術力を発揮した。

大正末期から昭和初期、電車の車体が木造から安全性の高い鋼鉄製に切り替わり始めた時代には、阪神急行電鉄510として内装まで鋼鉄製とした「全鋼製車両」を日本で初めて製造した。その後「川造形」と呼ばれる独特な形態の私鉄向け全鋼製電車を製造し、各社に供給している。

1928年昭和3年)に鉄道車両部門を「川崎車輛」として分社化し、国鉄や私鉄、地下鉄向けに各種の鉄道車両を生産してきたが、1969年に一度は川崎重工業本体に吸収合併されている[注 1]

新幹線車両特急形電車公営事業者向け車両などに強みがあり、普通鋼製に限らずステンレス鋼製、アルミ合金製など、あらゆる材質の鉄道車両の製造が可能である。

特にアルミ合金製車両では、西ドイツ(当時)のWMD社(ドイツ語版)との技術提携によって製作され本格的な都市間高速電車向けアルミ車としては日本初の事例となった山陽電気鉄道2000系3両(2012-2505-2013:1962年〈昭和37年〉)を皮切りに、1960年代中盤以降各社へ積極的な売り込みを実施して、大型型押し材の自動溶接工程の確立(1981年〈昭和56年〉)など、新技術開発にも精力的である。

JR向けには、efACEの思想に基づいて製作したオールステンレス車通勤近郊用途に供給している。かつては「2シート貼り合わせ工法」と呼ばれる従来工法で見られる骨組みを用いない工法[注 2]によって製作した車両も供給していた。なお、一部のステンレス車両(主にJR東日本・JR西日本のステンレス車両)では、妻面に強度確保のためのビードがプレス成形で入れられており、他社製車両との識別ポイントとなっている。

このほか、台車ホームドアリニアメトロ用のリアクションプレートを製造している。

ニューヨーク市都市交通局をはじめとする日本国外向けの車両も積極的に受注している。

また、かつて、兵庫県内の鉄道車両メーカーには武庫川車両工業阪神電気鉄道系、2002年解散)・アルナ工機阪急東宝グループ、2002年に事業別分社化後、後身企業のアルナ輸送機用品を川重が阪急電鉄から譲受)もあった。
歴史と先進技術

鉄道車両の製造を中心としているが、前身である川崎造船所から分社して川崎車輛となった1927年昭和2年)から1937年(昭和12年)にかけての時期には不況下での多角経営により、橋梁・鉄骨製作なども実施し、川崎造船所時代には永代橋清洲橋勝鬨橋(跳開橋部)と東京市の震災復興事業を象徴する隅田川の3橋梁の橋桁製作を請け負っていた。さらに1928年(昭和3年)5月18日の川崎車輛分社を挟んだ時期には日本の橋梁史に残る大作、澱川橋梁の橋桁本体を製作しており、橋梁・鉄骨製作事業からの撤退までに技術的にも規模的にも野心的な大作を数多く担当した[4]

また、元々造船業を母体としていたことから鋼材使用について積極的で、日本初の全鋼製電車である阪神急行電鉄510号を川崎造船所時代の1925年大正14年)に製作[5]、以後は@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}趣味者の間で[要出典]「川造形」(川崎造船所形)と呼称される独特の形状の鋼製車両を私鉄各社に供給した。さらに1930年(昭和5年)に製作した湘南電気鉄道デ1形で車体台枠の前後端を貫く主桁としての重い中梁を簡素・軽量化、側梁と横梁による梯子状構造物全体で荷重を合理的に分担負担させるという、当時としては極めて先進的な軽量構造を試みる[注 3]など、1920年代から1940年代にかけての日本において、鉄道車両用構体設計技術でトップに位置する高度な技術力を保持していた。

戦後は連合軍によって研究開発を禁止された航空技術を川崎航空機経由で受け入れ、1952年(昭和27年)には山陽電気鉄道250形第2次車でビニール系素材の積極採用に取り組み、1962年(昭和37年)にはドイツのWMD社と提携、そのライセンスの下で山陽電気鉄道2000系2000形2012・2013、2500形2505の3両1編成をアルミニウム合金の押し出し材を組み立てた車体で納品[注 4]、以後、独自に三元合金による大型形材を溶接組み立てしたアルミ合金製軽量車体製作の道を切り開くなど、戦前と変わらず先端技術開発に邁進し続けた。


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