川崎競馬場
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川崎競馬場
川崎競馬場
施設情報
所在地神奈川県川崎市川崎区富士見1-5-1
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度31分56.5秒 東経139度42分38.4秒 / 北緯35.532361度 東経139.710667度 / 35.532361; 139.710667座標: 北緯35度31分56.5秒 東経139度42分38.4秒 / 北緯35.532361度 東経139.710667度 / 35.532361; 139.710667
起工1949年10月
開場1950年
所有者株式会社よみうりランド
管理・運用者神奈川県川崎競馬組合
コース
周回左回り
馬場ダート(1周1200m)
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川崎競馬場付近の空中写真。2019年撮影。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

川崎競馬場(かわさきけいばじょう Kawasaki Racecourse)は、神奈川県川崎市川崎区に所在する地方競馬競馬場。現在の競馬の主催者は神奈川県川崎競馬組合神奈川県川崎市で構成する一部事務組合)で、土地および施設は株式会社よみうりランドから賃借している。浦和競馬場埼玉県さいたま市)、船橋競馬場千葉県船橋市)、大井競馬場東京都品川区)と共に南関東公営競馬を構成する。

本項では、併設されている中央競馬場外勝馬投票券発売所であるJ-PLACE川崎(ジェイプレイスかわさき)、およびショッピングセンターのマーケットスクエア川崎イースト(マーケットスクエアかわさきイースト)についても記述する。
競馬場概要

前身は横浜市戸塚競馬であり、川崎競馬場は1949年に開設され1950年から競馬が開催されている。

1967年度まで横浜市営競馬及び平塚市営競馬、2000年度まで神奈川県営競馬及び川崎市営競馬が行われ、かつては自治体ごとに別々に主催していたが、2001年度以降は神奈川県川崎競馬組合営競馬として開催されている。

マスコットは馬で騎手スタイルの「カツマルくん」。SPAT4加盟競馬場。
初代・川崎競馬場1907年(明治40年)の川崎競馬場

現在の川崎競馬場の地に最初に競馬場ができたのは、1906年のことである。板垣退助を中心とした京浜競馬倶楽部によって競馬が開催された[1]。ところが、1908年に政府が馬券発売禁止令を公布して馬券の発売を禁止したため、競馬を開催できなくなってしまった。実質的な開催日数はわずか15日だけであったという[1]

跡地には当時の川崎町長によって富士瓦斯紡績の工場が誘致され、1915年に操業を開始した[1]。工場であった時代の1930年には、工場の労働争議を支援するため、煙突男が出現して世間の話題となった。

その後、1939年に工場は東京電気(現・東芝)に譲渡されたが、太平洋戦争中の空襲により焼失し、その跡地に戦後再び競馬場が復活することになった[1]
コース概要レースの様子川崎競馬場付近の空中写真。1989年撮影。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

馬場:1周1200m 左回り平坦、砂厚8.5cm

直線(4コーナーからゴール板まで): 300m

コース幅: 25m

距離設定: 900m、1400m、1500m、1600m、2000m、2100m

最大出走頭数(フルゲート): 1500m、1600m、2100mは14頭、それ以外は12頭である。

ダートコースの砂は、従来は宮城県仙台産のものが使用されていたが、2011年5月から青森県産の砂に入れ替えられている[2](2014年12月からは産地が六ヶ所村から東通村に変更されている[3])。

競馬場としてはコースの奥行きが無い構造である事から、向正面や3コーナーなどの仕掛け所をスタンドから一目瞭然に見渡す事が可能である。その為、仕掛けやハンドリングについて騎手の巧拙がはっきりと観客の目にも判るという特徴がある。またコーナーが極めてきつく人気馬であっても勝利させるには高い騎乗技術が必要であり、馬の能力と同様に騎手の腕も大きく問われる。

1989年の航空写真を見るとかつて障害競走のために設置されていた襷コースの跡があるのがわかる。
施設概要
スタンドスタンド

現在は1号スタンド(1983年12月竣工)と2号スタンド(1997年4月竣工・2016年2月リニューアル[4])があり、2号スタンドは1階に佐々木竹見元騎手を記念するギャラリーが設置され、またJ-PLACE川崎としてJRAの馬券発売および払戻を行なっている。

指定席は1号スタンド4階に特別観覧席B(1500円)とボックス(3?6人用で席数x1000円)、2号スタンドには3階に特別観覧席S(2500円)と個室(8人用で一室16000円)、4階に特別観覧席A (1500円)・プレミアムシングル(2500円)・ボックス(3?5人用で席数x1000円)がある。
場内食堂

川崎競馬場の場内食堂には、食べ物が豊富に揃っている。名物として知られるものにはタンメンや激辛焼きそばがあるが、パドック横の手作りコロッケやチキンフライも人気がある。またスタンド内にも中華料理や蕎麦・カツ・モツ煮込み等の店が立ち並び、そのバラエティの広さは、東日本地域の全公営競技でも有数と言われる。

ちなみに、現在では競馬場内で名物と銘打ってタンメンを提供する店舗が複数存在するが、場内タンメン屋の実質的な元祖と言えるタンメン専門店の「国広」は、店主の引退によって2004年3月31日に閉店した。「国広」があった場所には別の店主が出店している。
ナイターパドック

ナイター競馬の開催場で、1995年より「カワサキ・スパーキングナイター」という名称で実施している。

2002年8月よりナイター競走期間中の最終競走発走予定時刻が20時50分となった。2013年4月現在、大井競馬場、及び高知競馬場と並んで最終競走の発走予定時刻は日本のナイター競走施行場(他種公営競技含む)で最も遅い。

2004年の年末開催には薄暮競走である「クリスマス・プチナイター」を実施した。

2009年から2011年まで12月開催を通常のナイター開催より1時間程繰り上げて発走(第1競走14時台、最終競走19時40分)する「セミナイター」で実施した。

2011年4月開催は3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)及び東京電力福島第一原子力発電所での事故による電力不足の影響により、通常よりレース数を減らし、第1競走12:30?最終第9競走16:30としてレースの間隔を狭めた昼間開催とした(同時期、同じくナイターをしている大井競馬場もナイターを見合わせて昼間開催とした)。5月よりナイターを再開している。

敷地キングビジョン

日本の競馬場で最も敷地面積が狭く、全国の競馬場で唯一向正面の奥に大型ビジョンが設置されている(簡単に言うならば競艇場などと同様のレイアウトである)。このため、内馬場の芝生スタンドからも大型ビジョンによりオッズなどの情報を容易に取得する事ができる。

2003年6月に設置された「キングビジョン」は、面積496m2、最大視認距離は250m。設置当時は世界最大の大型ビジョンであった。その後、2006年に東京競馬場に設置されたターフビジョンが面積660m2で、世界最大となっていたが、川崎ではキングビジョンと旧大型映像装置の筐体を一体的に活用して、2009年6月に改めて世界最大面積1152m2の「川崎ドリームビジョン」として再整備され[5]、2010年にギネス世界記録に認定された(2011年現在はドバイメイダン競馬場のものが最大である。


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