川崎市民ミュージアム
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川崎市市民ミュージアム
KAWASAKI CITY MUSEUM
外観
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}川崎市
市民
ミュー
ジアム 神奈川県内での位置
施設情報
正式名称川崎市市民ミュージアム
専門分野博物館美術館
館長蛭川泰行(2023年 - )
学芸員常勤14人(2023年〈令和5年〉度末現在)
事業主体川崎市
建物設計菊竹清訓
延床面積19,542m2
開館1988年11月[1]
所在地211-0052
神奈川県川崎市中原区等々力1-2
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度35分18.9秒 東経139度38分50.1秒 / 北緯35.588583度 東経139.647250度 / 35.588583; 139.647250座標: 北緯35度35分18.9秒 東経139度38分50.1秒 / 北緯35.588583度 東経139.647250度 / 35.588583; 139.647250
外部リンク川崎市市民ミュージアム
プロジェクト:GLAM
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川崎市市民ミュージアム(かわさきししみんミュージアム)は、神奈川県川崎市中原区等々力緑地にあった公立博物館美術館。ミュージアムショップ、図書閲覧室などの施設もある、総合的な文化施設だった。

TOP&カード提示割引」の加盟施設。

2019年に後述する水害による所蔵品被害を受けた後に休館となり、取り壊しが決定した。ミュージアムは多摩区生田緑地に移転することが2023年に決まり、2029年以降にオープンする予定。2024年時点で施設としては利用できないが、事務所は場所を移して存続している。
概要

1988年の開館当初から写真・漫画・ポスター・映像などの複製芸術の収集・展示に力を入れている最初期の美術館でもある。また産業都市川崎の美術館としてバウハウスベルント&ヒラ・ベッヒャー展など産業と関わりの深い作品の企画も多かった。写真部門は日本の公立美術館で初めての設立となり、写真界の芥川賞と呼ばれる歴代の木村伊兵衛賞作品など貴重なコレクションを持つ。270席を有する映像ホールでは映画の定期上映をおこない、特徴あるミニシアターの役割も果たしてきた[2]

前庭にはトーマス転炉産業遺産として展示されており、保存されているトーマス転炉としては世界で唯一のものである。前庭のトーマス転炉。日本鋼管(現JFEスチール)京浜製鉄所で使用されていたもの。
開館後の変遷(休館まで)

行政OBなど行政出身者が代々館長を務めていたが、学識経験者の館長として加藤有次(1932-2003、國學院大學名誉教授、博物館学、考古学)が、死去する2003年11月まで就任していた。

2005年に、漫画作品・資料収集と企画展示に対して第9回手塚治虫文化賞特別賞が贈られた。

2006年5月には、一般公募により、小田急美術館館長の志賀健二郎が着任し、2007年には新たなエントランスを増設し企画展示室を増やすなど大規模な改良工事が行なわれた。

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}2011年より4か年をかけて、現在大規模な空調改修工事の実施により、文化庁公開承認施設の要件を満たさなくなったため市から承認施設の取り下げをしたことから、重要文化財等の取扱を自粛した(公開承認期間2014年3月まで)。2011年からは再び館長を行政職が務めた。[疑問点ノート]

2017年4月から、指定管理者制度を導入したことにより、指定管理者となったアクティオ・東急コミュニティー共同事業体が運営者となった。その結果、集客性のある企画展「MJ's FES みうらじゅんフェス!」、「かこさとしのひみつ展」や、夏休みの「からくりトリックの世界」といった子どもの来館を誘因するような展覧会を開催することで入館者数を大幅に増加することに成功した、としている[要出典]。

2018年から水害後の2022年まで学芸員経験者の大野正勝が館長を務めていた。
台風による浸水被害

2019年10月12日の令和元年東日本台風(台風19号)による浸水被害で、地下収蔵庫にあった美術品が水没する被害に見舞われ、それ以降休館となった[3]

浸水では約22万9000点の収蔵品が被害を受けた。2019年10月22日から2020年6月19日にかけて、収蔵庫外への搬出が行われたが、搬出の段階で既に修復困難なものが多数見られた。外部団体による支援も受けながら修復作業が行われたが、状態がひどく、劣化が激しいなどの理由から、2021年1月に藁人形4点、オフセット印刷のグラフィック資料1点、写真雑誌4802点、漫画雑誌・単行本36301点、学校教育用の教材フィルム1129点の計42237点の資料が廃棄処分されることが発表された[4]。また、同年3月には藁人形26点、漫画雑誌1178点の計1204点が新たに廃棄処分されることが発表された[5]。さらに2023年2月にも30107点の収蔵品の廃棄が決定したが、館長の小沢正勝は大規模な処分はこれが最後としている[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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