川崎市市民ミュージアム
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川崎市市民ミュージアム
KAWASAKI CITY MUSEUM
外観
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市民
ミュー
ジアム 神奈川県内での位置
施設情報
正式名称川崎市市民ミュージアム
専門分野博物館美術館
館長小沢正勝(2022年 - )
事業主体川崎市
建物設計菊竹清訓
延床面積19,542m2
開館1988年11月[1]
所在地211-0052
神奈川県川崎市中原区等々力1-2
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度35分18.9秒 東経139度38分50.1秒 / 北緯35.588583度 東経139.647250度 / 35.588583; 139.647250座標: 北緯35度35分18.9秒 東経139度38分50.1秒 / 北緯35.588583度 東経139.647250度 / 35.588583; 139.647250
外部リンク川崎市市民ミュージアム
プロジェクト:GLAM
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川崎市市民ミュージアム(かわさきししみんミュージアム)は、神奈川県川崎市中原区等々力緑地にある公立博物館美術館。ミュージアムショップ、図書閲覧室などの施設もある、総合的な文化施設である。

TOP&カード提示割引」の加盟施設。
概要

1988年の開館当初から写真・漫画・ポスター・映像などの複製芸術の収集・展示に力を入れている最初期の美術館でもある。また産業都市川崎の美術館としてバウハウスやベルント&ヒラ・ベッヒャー(英語版)展など産業と関わりの深い作品の企画も多い。写真部門は日本の公立美術館で初めての設立となり、写真界の芥川賞と呼ばれる歴代の木村伊兵衛賞作品など貴重なコレクションを持つ。なお、漫画作品・資料収集と企画展示に対して、2005年には第9回手塚治虫文化賞特別賞が贈られている。また270席を有する映像ホールでは映画の定期上映を行っており、特徴あるミニシアターの役割も果たしている[1]

しかし、そうした部分的な質の高さに関わらず、ミュージアム全体としての一般利用は一時落ち込み、入館者数も減少傾向にあった。近年では入館者数は低迷期と比較して回復しているものの、その一方で単なるエントランスの通り抜けも入館者として勘定するなど、入館者数のデータ自体が疑問視されている。

行政OBなど行政出身者が代々館長を務めていたが、学識経験者の館長として加藤有次(1932-2003、國學院大學名誉教授、博物館学、考古学)が、亡くなる2003年11月まで就任していた。

2006年5月には、一般公募により、小田急百貨店出身の志賀健二郎が着任し、2007年には新たなエントランスを増設し企画展示室を増やすなど大規模な改良工事が行なわれた。また、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}2011年より4ヶ年をかけて、現在大規模な空調改修工事の実施により、文化庁公開承認施設の要件を満たさなくなったため市から承認施設の取り下げをしたことから、重要文化財等の取扱を自粛している(公開承認期間2014年3月まで)。2011年からは再び館長を行政職が務めた。[疑問点ノート]

2017年4月から、指定管理者制度を導入したことにより、指定管理者となったアクティオ・東急コミュニティー共同事業体が運営者となった。その結果、集客性のある企画展「MJ's FES みうらじゅんフェス!」、「かこさとしのひみつ展」や、夏休みの「からくりトリックの世界」といった子どもの来館を誘因するような展覧会を開催することで入館者数を大幅に増加することに成功した、としている。

2018年から2022年まで学芸員経験者の大野正勝が館長を行い、2022年から行政出身者の小沢正勝が館長を行う。

なお、前庭にはトーマス転炉産業遺産として展示されており、保存されているトーマス転炉としては世界で唯一のものである。 前庭のトーマス転炉。日本鋼管(現JFEスチール)京浜製鉄所で使用されていたもの。
台風による浸水被害

2019年10月12日の令和元年東日本台風(台風19号)による浸水被害で、地下収蔵庫にあった美術品が水没する被害に見舞われ、それ以降休館となった[2]。市の付属機関である川崎市文化芸術振興会議が設置した川崎市文化芸術振興会議市民ミュージアムあり方検討部会[3]は、現在地以外での施設整備が望ましいとする意見を2020年11月16日に表出し[4][5]、翌2021年8月30日の川崎市議会文教委員会で正式に取り壊しが決まった[6]

浸水では約22万9000点の収蔵品が被害を受けた。2019年10月22日から2020年6月19日にかけて、収蔵庫外への搬出が行われたが、搬出の段階で既に修復困難なものが多数見られた。外部団体による支援も受けながら修復作業が行われたが、状態がひどく、劣化が激しいなどの理由から、2021年1月に藁人形4点、オフセット印刷のグラフィック資料1点、写真雑誌4802点、漫画雑誌・単行本36301点、学校教育用の教材フィルム1129点の計42237点の資料が廃棄処分されることが発表された[7]。また、同年3月には藁人形26点、漫画雑誌1178点の計1204点が新たに廃棄処分されることが発表された[8]
路線バス
「市民ミュージアム」停留所から

(東急バス)川33系統川崎駅西口北行き  

(川崎市バス)杉40系統小杉駅前・上平間行き

「市民ミュージアム前」停留所から

(川崎市バス)溝05系統溝の口行き

(川崎市バス)杉40系統中原行き

(川崎市バス)杉40・溝05系統小杉駅前・上平間行き

(東急バス)川33系統川崎駅ラゾーナ広場行き

出典^ a b “ ⇒川崎市市民ミュージアム”. 港町キネマ通り (2016年9月). 2016年10月3日閲覧。
^ “ ⇒台風第19号の影響による市民ミュージアムの休館について”. 川崎市 (2019年10月13日). 2021年5月28日閲覧。
^ “市民ミュージアムあり方検討部会について (PDF)”. 川崎市 (2020年7月28日). 2021年5月28日閲覧。
^ “川崎・市民ミュージアム 新施設「等々力から移転整備を」 。カナロコ by 神奈川新聞” (日本語). カナロコ. 2021年5月28日閲覧。
^ “昨秋の台風19号で浸水被害 川崎市市民ミュージアム 等々力緑地外への移転で一致:東京新聞 TOKYO Web” (日本語). 東京新聞 TOKYO Web. 2021年5月28日閲覧。
^ “市民ミュージアム取り壊し 日程は未定 移転再建へ” (日本語). タウンニュース. 2021年9月14日閲覧。
^ 川崎市市民ミュージアム収蔵品レスキューの状況及び被災収蔵品の処分について (PDF) 川崎市、2021年1月21日
^ 被災収蔵品処分リストの概要(令和3年3月) (PDF) 川崎市、2021年3月15日

外部リンク

川崎市市民ミュージアム


川崎市市民ミュージアム改善委員会検討結果










日本の国公立美術館
国立

国立文化財機構

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