川崎市岡本太郎美術館
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川崎市岡本太郎美術館
TARO OKAMOTO MUSEUM
of ART,KAWASAKI

川崎市岡本太郎美術館の航空写真
(1999年8月撮影)
神奈川県内の位置
施設情報
正式名称川崎市岡本太郎美術館
専門分野岡本太郎の作品
収蔵作品数1779点
来館者数1,449,010人
(平成29年度、269人/日)
館長北條秀衛[1]
学芸員常勤4人、非常勤1人
事業主体神奈川県川崎市
管理運営川崎市市民・こども局
年運営費227,274(平成29年度、千円)
建物設計本文を参照
延床面積4993u
開館1999年(平成11年)10月30日
所在地〒214-0032
神奈川県川崎市多摩区
枡形七丁目1番5号
位置北緯35度36分29.07秒 東経139度33分26.92秒 / 北緯35.6080750度 東経139.5574778度 / 35.6080750; 139.5574778座標: 北緯35度36分29.07秒 東経139度33分26.92秒 / 北緯35.6080750度 東経139.5574778度 / 35.6080750; 139.5574778
外部リンク ⇒http://www.taromuseum.jp/
プロジェクト:GLAM
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川崎市岡本太郎美術館(かわさきしおかもとたろうびじゅつかん、Taro Okamoto Museum of Art,Kawasaki)は、神奈川県川崎市多摩区桝形の生田緑地内にある市立の美術館芸術家岡本太郎より川崎市に寄贈された作品1779点を所蔵・展示している。太郎の死後3年後の1999年に開館。

1991年平成3年)11月、岡本太郎所有の作品352点が川崎市に寄贈されたことに伴い、「岡本太郎美術館建設計画」が持ちあがる。1992年(平成4年)6月、「仮称岡本記念館建設構想委員会」が設置された。1993年(平成5年)3月、基本構想が発表され、続いて基本計画が発表された。建設地は生田緑地内の噴水広場で、施設面積5000uの完全地下式美術館と高さ45mのシンボルタワーである。1994年(平成6年)3月、建設地の環境調査の結果により、噴水広場奥の谷戸に建設、シンボルタワーの高さを40mに変更した。1995年(平成7年)6月、川崎市は建設地を再度の変更により生田緑地内にあるゴルフ練習場[2]に決定した。1996年(平成8年)1月7日、岡本太郎が死去したため、生前の美術館開館には至らなかった。同年11月、岡本美術館建設工事が着工される。1999年(平成11年)2月、美術館は竣工、同年10月30日に開館した。

この美術館建設地を巡って「自然を破壊する」として、地域住民から反対運動が起こり、市民グループ「生田緑地の自然を守る会(代表・江田雅子)」が川崎市を相手取り訴訟を起こすまでに発展、日本における代表的な「自然の権利訴訟」となる。1997年(平成9年)1月24日、生田緑地の自然を守る会が『川崎市生田緑地岡本太郎美術館建設公費違法支出差止請求事件(生田緑地・里山・自然の権利訴訟)[3]横浜地方裁判所に提訴した。その後、4年半に及ぶ裁判で公判が27回開かれ、2001年(平成13年)6月27日、「生田緑地・里山・自然の権利訴訟」は、「アセス条例違反」の判決が言い渡された[4]
目次

1 施設

2 沿革

3 環境アセス条例違反

4 ギャラリー

5 脚注

6 参考文献

7 関連項目

8 外部リンク

施設
美術館
常設展示室 - 岡本太郎の芸術作品、著作、
パフォーマンスフィールドワーク等の軌跡を伝えるための展示環境備え、芸術活動の分野や内容、作品の特徴や形状、時代ごとの傾向など、独自の空間によって構成されている。各ゾーンでは、作品を映像グラフィックで見せる空間構成され、照明効果・映像の演出によって紹介している。従来の美術館の鑑賞する展示ではなく、岡本太郎の世界を体験できる展示空間となっている。企画展示室 - 岡本太郎の作品や資料の展示だけでなく、新人作家の紹介と作品、幅広い現代美術、参加型の展覧会などの展示空間が可能となっている。設計者 - 建築本体/川崎市まちづくり局施設整備部、株式会社久米設計、母の塔/川崎市教育委員会、株式会社現代芸術研究所。 母の塔
母の塔
シンボルタワー「母の塔」は、「大地に深く根ざした巨木のたくましさ」、「ゆたかでふくよかな母のやさしさ」、「天空に向かって燃えさかる永遠の生命」をテーマとして製作された。原作者は岡本太郎で、1971年(昭和46年)に原型が制作された。実際の塔は、全高30m。

交通 - 小田急小田原線 - 向ヶ丘遊園駅より徒歩、あるいは、バスで生田緑地入口停留所より徒歩。

沿革

1991年(平成3年)11月 - 川崎市は岡本太郎から作品352点の寄贈を受ける。12月、川崎市は岡本太郎の美術館建設を決定。

1992年6月 - 「仮称岡本記念館建設構想委員会」を設置。

1993年

1月 - 岡本太郎に川崎市名誉市民を贈る。

3月 - 「仮称岡本記念館建設基本構想」を策定。

3月 - 岡本太郎所有の作品1427点が追加寄贈される。

4月 - 「仮称岡本記念館建設基本計画策定委員会」を設置し、7月 - 「仮称岡本記念館建設基本計画」を策定。

7月 - 川崎市長・教育長、「基本計画 5000uの完全地下式美術館と45m のシンボルタワー及び建設地 生田緑地の噴水広場」を発表。

7月 - 「仮称岡本太郎美術館建設委員会」を設置。


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