川崎市体育館
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川崎市体育館
Kawasaki City Gymnasium

施設情報
用途屋内スポーツ
収容人数1,496席
事業主体川崎市
管理運営(公財)川崎市スポーツ協会
延床面積1,476 m2
竣工1956年
所在地210-0011
川崎市川崎区富士見1-1-4
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度31分47秒 東経139度42分30秒 / 北緯35.52972度 東経139.70833度 / 35.52972; 139.70833 (川崎市体育館
Kawasaki City Gymnasium)座標: 北緯35度31分47秒 東経139度42分30秒 / 北緯35.52972度 東経139.70833度 / 35.52972; 139.70833 (川崎市体育館
Kawasaki City Gymnasium)
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川崎市体育館(かわさきしたいいくかん)は、神奈川県川崎市川崎区に存在した体育館。施設は川崎市が所有し、2006年平成18年)4月1日から指定管理者制度により、(公財)川崎市スポーツ協会に運営管理を委任していた。

1956年昭和31年)4月1日に川崎市民会館として開館し[1]2014年(平成26年)12月27日をもって閉館し[2]、その後に建て替えのため解体された。
施設概要

大ホール

面積:1,476u(41m×36m)

観客席:1496席

バドミントン:8面

卓球:30台

バスケットボール:2面

バレーボール:3面

ハンドボール:1面

テニス(屋内):1面

フットサル:1面


トレーニング室

補助ホール

利用状況

各種スポーツ教室の開催、プロレスボクシングの興行等の用途で使われている。ただし、1995年(平成7年)にとどろきアリーナが完成すると大きなスポーツイベントはそちらを使用するようになる。1998年(平成10年)のかながわ・ゆめ国体ではバスケットボール会場として使用された[1]

具志堅用高協栄ボクシングジム)が1979年(昭和54年)1月7日世界ボクシング協会ライトフライ級世界王座の7度目の防衛戦をこの川崎市体育館で行い、リコベルト・マルカーノ( ベネズエラ)にノックアウト勝ちして当時の日本人世界王者防衛新記録を達成した。

プロレスでは1970年代より全日本女子プロレス後楽園ホールをも上回る頻度で使用しており、1988年(昭和63年)にクラッシュギャルズで争われたWWWA世界シングル王座戦など女子プロレス史に残る幾多もの熱戦が繰り広げられた「女子プロレスの聖地」とされていた[3]。1990年代にはJWPLLPWGAEA JAPANアルシオンでも使われており、1997年(平成9年)12月5日のLLPWとJWPの「雪解け」とも言われる初の交流戦が開かれたのもこの川崎市体育館であった。2010年(平成22年)にはNEO女子プロレスが「NEO SPECTACLE IN 聖地川崎」と題した大型興行を打った。また、NEO解散後の2011年(平成23年)に旗揚げされたワールド女子プロレス・ディアナはビッグマッチを同体育館で催していた。

男子プロレスでは力道山時代の日本プロレスが興行を打った後、1980年代まで全日本プロレス新日本プロレスが使用しており、中でも全日本はオープン選手権の最終戦などビッグマッチも開かれていた[4]。1990年代に入ると、代わって大日本プロレスが使用していた。

なお、床が傷つく恐れから蛍光灯などを使用したデスマッチを組むことはできない。そのため大日本ではツインリング、デスブリッジ6人タッグなど代替のデスマッチを行い、最終的には撤退となった。
建て替えへ

現体育館は完成から半世紀以上が経過しており、老朽化が進んだため、周辺の川崎市教育文化会館及び富士見公園弓道場とともに解体し、これらを集約した施設を建設する計画が2011年(平成23年)に明らかになった[5]

2014年(平成26年)4月1日に川崎市から『2014年12月27日で閉館する』ことが正式に発表された[2]

2014年(平成26年)12月13日に「さよならイベント」と題してチアリーディングや吹奏楽が演奏された[1][4]

23日に最後の格闘技興行としてディアナが「川崎伝説」を開催、井上京子 vs 堀田祐美子の「ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ」で「女子プロレスの聖地」に別れを告げた[6]

27日の市民卓球大会を最後に閉鎖[7]。58年の歴史に幕を閉じた。

新施設である川崎市スポーツ・文化総合センターはPFI事業方式を採用、2014年度(平成26年度)に現施設を解体して本体工事に着手し、2017年(平成29年)10月1日にオープン[8]
交通

川崎駅京急川崎駅から徒歩約15分。
脚注[脚注の使い方]^ a b c“58年の歴史に感謝 川崎市体育館でさよならイベント”. カナロコ. (2014年12月14日). ⇒http://www.kanaloco.jp/article/81587/cms_id/116278 2016年5月16日閲覧。 
^ a b川崎市体育館の閉館のお知らせ 川崎市オフィシャルサイト 2014年4月1日告示
^女子プロレス聖地、別れのゴング 川崎市体育館、老朽化 朝日新聞 2014年12月24日
^ a b川崎市体育館が58年の歴史に幕!惜しむ声多数 イロリオ 2014年12月15日
^“川崎市市民アリーナ基本計画策定”. 建通新聞社 (地方建設専門紙の会). (2011年10月28日). ⇒http://www.senmonshi.com/archive/02/028ETKzw2H2U2A.asp 
^ “井上京&堀田 女子17年ぶり電流爆破”. デイリースポーツ. (2014年12月24日). https://www.daily.co.jp/ring/2014/12/24/0007607653.shtml 2016年5月16日閲覧。 
^“市体育館 58年の歴史に幕 惜しまれつつ27日に閉館”. 東京新聞. (2014年12月19日). ⇒http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20141219/CK2014121902000122.html 2016年5月16日閲覧。 
^“川崎市体育館建て替え計画、PFI事業方式を採用/神奈川”. カナロコ. (2013年3月2日). ⇒http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1303020005/ 


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