川崎フロンターレ
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川崎フロンターレ
原語表記川崎フロンターレ
愛称フロンターレ
クラブカラー    サックスブルー
[1]
    ブラック[1]
    ホワイト[1]
創設年1955年
所属リーグ日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョンJ1リーグ
昨季リーグ順位8位(2023年)
クラブライセンスJ1
ホームタウン神奈川県川崎市[1]
ホームスタジアム
Uvanceとどろきスタジアム by Fujitsu[1]
収容人数26,827[1]
運営法人株式会社川崎フロンターレ[1]
代表者吉田明宏[1]
監督 鬼木達
公式サイト公式サイト

ホームカラーアウェイカラー

今シーズン
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

株式会社川崎フロンターレ[1]
Kawasaki Frontale Co., Ltd.本社(2012年10月31日)
種類株式会社
本社所在地213-0013
神奈川県川崎市高津区末長四丁目8-52[2] 富士通末長分室
設立1996年11月21日
業種サービス業
法人番号3020001070104
事業内容サッカークラブの運営他
代表者吉田 明宏[1]
資本金3億4,900万円
売上高69億6,900万円 (2020年1月期)[3]
営業利益8億100万円 (2020年1月期)[3]
経常利益8億200万円 (2020年1月期)[3]
純利益5億6,200万円 (2020年1月期)[3]
純資産21億200万円 (2020年1月期)[3]
総資産33億7,600万円 (2020年1月期)[3]
決算期1月期
主要株主富士通川崎市他36法人・団体
外部リンク ⇒公式ウェブサイト
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川崎フロンターレ(かわさきフロンターレ、: Kawasaki Frontale)は、日本神奈川県川崎市をホームタウンとする[1]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
概要

1955年富士通サッカー部として創部。1997年Jリーグ準会員に承認され、1999年にJリーグへ加盟。ホームスタジアムは中原区等々力陸上競技場、練習場は麻生区川崎フロンターレ麻生グラウンド。最前線で挑戦し続ける開拓精神を基軸としており、クラブ名も「フロンティアスピリッツ」が由来としている[4][5][6]。エンブレムは川崎市の花 ツツジ、チームマスコット イルカ、チームカラーを基に、世界に向けて開かれた活力と、魅力ある臨海都市 川崎をシンボライズしたマークである[4][5]。クラブマスコットは先進技術やスピードをモチーフとしているふろん太[4][5]カブレラ、ワルンタ。

呼称に関しては、川崎市をホームタウンとするクラブで、Jリーグ公式サイトやDAZNのテロップ表記では「川崎F」の略称を用いている。Jリーグ創成期に東京ヴェルディ1969が等々力陸上競技場を本拠地とし、チーム呼称を「ヴェルディ川崎」としていた名残による物である。ただし、一部のスポーツ新聞(スポーツニッポン日刊スポーツなど)を除き新聞のスコアテーブルなどでは「川崎」とだけ表記している。



歴史
前史詳細は「富士通サッカー部」を参照

1955年に創部された「富士通サッカー部」が前身であり[1]1972年日本サッカーリーグへ昇格、1992年からジャパンフットボールリーグ(旧JFL)へ参加[1]1996年に「富士通川崎フットボールクラブ」へ改称し、11月21日に運営会社となる「富士通川崎スポーツマネジメント株式会社」を設立。

1997年にJリーグ準会員となり[1]、名称が公募によって川崎フロンターレと決定された。
1997年 - 1998年 (JFL)
1997年川崎フロンターレ試合風景 (2006年11月26日)

Jリーグ昇格条件の2位以内を目指すため、小浜誠二が事実上の責任者となる常務に就任。監督を富士通社員の城福浩からプロ契約の斉藤和夫へと交代し[注釈 1]、選手では名古屋中西哲生平塚ベッチーニョ横浜F桂秀樹清水向島建横浜M小泉淳嗣等を獲得。

ブラジルのグレミオとの業務提携も発表した[7]。現在のチームカラーが水色と黒なのは、グレミオのチームカラーを模した名残である[8]

最終成績は3位となり、勝ち点1差でJリーグ昇格を逃した。
1998年

ベットが監督に就任。鹿島から鬼木達が加わり、ヴァルディネイツゥットなどのブラジル人FWが活躍した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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