川島 総次(かわしま そうじ、文政8年(1825年) - 元治元年9月5日(1864年10月5日)[1])は、尊王攘夷運動家。諱は友利[2]。贈従五位。野根山二十三士の一人で、最も年長者だった[2]。お笑いタレントの劇団ひとり(本名・川島省吾)は子孫(来孫)にあたる。 本籍・土佐国安芸郡佐喜浜村で、父の名は七五郎である[2]。家は代々野根山岩佐の番士だった[2]。1864年(元治元年)、清岡道之助を首領とする野根山屯集に参加して捕らえられ、同年9月5日に刑死。墓は高知県安芸郡田野町の福田寺にある。人柄は温厚寡言で、人と事を争わなかった[2]。 土佐国安芸郡佐喜浜村(現在の高知県室戸市佐喜浜町)、長岡郡田井村(現在の土佐郡土佐町)、高知市
目次
1 経歴・人物
2 家族・親族
3 脚注
4 参考文献
経歴・人物
家族・親族
川島家
父・七五郎[2]
妻・縫(志士中岡慎太郎の姉)
嗣子・友兵衛[2]
長岡郡田井村に居住した[2]。
孫・正件(高知県士族、政治家・高知市長) - 友兵衛の長男[3]。劇団ひとりの曽祖父[4]。
1869年 - 1937年劇団ひとりは「27、28歳のころ、両親とプライベートで高知を訪れた時に、安芸郡田野町にある二十三士の墓にも足を運んだことがある。」と述べている[4]。
脚注^ 『明治維新人名辞典』307頁。
^ a b c d e f g h ⇒『二十三士』58-59頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年5月23日閲覧。
^ ⇒『人事興信録 第9版』カ149頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年5月23日閲覧。
^ a b ⇒“ルーツを語る「勝手ですけど…高知は第二の古里」”. 高知新聞 (高知新聞社). (2017年1月1日). ⇒http://www.kochinews.co.jp/article/71148/ 2017年4月1日閲覧。
参考文献
中野浩気『二十三士』中野浩気、1907年。
人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年。
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更新日時:2017年11月16日(木)06:15
取得日時:2019/08/05 09:59