川島 令次郎(かわしま れいじろう、1864年10月14日(元治元年9月14日) - 1947年(昭和22年)11月22日)は、日本の海軍軍人。海軍中将正三位勲一等功三級。宮中顧問官。 旧加賀藩士川島拓の長男として生まれる。攻玉社を経て、1884年(明治17年)12月、海軍兵学校(11期生)を卒業し、1886年(明治19年)9月に海軍少尉任官。1892年(明治25年)8月、海軍大学校(甲号4期)を卒業。「高千穂」砲術長、軍令部第2局員、侍従武官、イギリス留学、イギリス公使館付、常備艦隊参謀、「富士」副長、「朝日」副長、「宮古」艦長などを歴任。 日露戦争では、「松島」艦長として出征し、日本海海戦では「磐手」艦長であった。その後、軍令部参謀(第1班長)、艦政本部第1部長を経て、1908年(明治41年)8月、海軍少将に進級。さらに、海大校長、第3艦隊司令官、水路部長などを歴任し、1913年(大正2年)1月、海軍中将となった。旅順要港部司令官、将官会議議員などを務め、1916年(大正5年)6月27日に予備役に編入され[1]、1929年(昭和4年)9月、退役した。 また、1916年(大正5年)6月27日、別当に任じられ東伏見宮附となり[1]、さらに同宮務監督を務めた。
経歴
栄典・授章・授賞
位階
1891年(明治24年)12月16日 - 従七位[2]
1898年(明治31年)10月31日 - 正六位[3]
1903年(明治36年)12月19日 - 従五位[4]
1908年(明治41年)12月11日 - 正五位[5]
1913年(大正2年)2月20日 - 従四位[6]
勲章等
1904年(明治37年)11月29日 - 勲四等瑞宝章 [7]
1906年(明治39年)4月1日 - 功三級金鵄勲章、勲三等旭日中綬章、明治三十七八年従軍記章[8]
1915年(大正4年)11月10日 - 大礼記念章[9]
1919年(大正8年)12月15日 - 戦捷記章[10]
1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[11]
親族
三男 橋井真(官僚)
四男 岡崎忠(神戸銀行頭取)
五男 川島義(東京計器株式会社常務)
義弟 中村静嘉(海軍少将)
脚注^ a b 『官報』第1172号、大正5年6月28日。
^ 『官報』第2541号「叙任及辞令」1891年12月17日。
^ 『官報』第4603号「叙任及辞令」1898年11月1日。
^ 『官報』第6142号「叙任及辞令」1903年12月21日。
^ 『官報』第7640号「叙任及辞令」1908年12月12日。