川口 真
かわぐち まこと
出生名.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}川口(かわぐち) 眞弘(まさひろ)
生誕 (1937-11-05) 1937年11月5日
出身地 日本・兵庫県神戸市
死没 (2021-10-20) 2021年10月20日(83歳没)
日本・神奈川県横浜市青葉区
学歴東京芸術大学音楽学部作曲科中退
ジャンルポップス、歌謡曲、ロック、グループ・サウンズ
職業作曲家・編曲家
川口 真(かわぐち まこと、本名:川口(かわぐち)眞弘(まさひろ)、1937年11月5日[1] - 2021年10月20日)は、日本の作曲家、編曲家。兵庫県神戸市出身[1]。 幼少期は岡山県倉敷市、岡山市育ち。岡山県立岡山操山高等学校を卒業後、東京芸術大学に進学した。 東京芸術大学音楽学部楽理科に2年在籍したのち、作曲科へ転科[1]。在学中から越路吹雪のバックバンド「クレール・ド・シャルム」のピアニストとして活動[1]。その傍らでいずみたくの事務所で編曲のアルバイトも行っており、ミュージカル『見上げてごらん夜の星を』で編曲家としてデビュー[1]。そのまま本業となったため、大学は4年で中退[2]。 1966年、ザ・ベンチャーズが作曲した「二人の銀座」(歌:和泉雅子・山内賢)の編曲を担当[1]。川口は「北国の青い空」などザ・ベンチャーズ作曲の編曲を担当している[3]。 1969年に「人形の家」(弘田三枝子)で本格的に作曲家としてデビュー[1]。ザ・テンプターズの「エメラルドの伝説」(作詞:なかにし礼、作曲:村井邦彦)、「おかあさん」(作詞:松岡弘子、補作詞・作曲:松崎由治)の編曲も評判となる。1970年「手紙」(由紀さおり)をヒットさせ、「真夏のあらし」(西郷輝彦)で第12回日本レコード大賞作曲賞を受賞した[4]。1970年代前半には尾崎紀世彦「さよならをもう一度」(1971年)、金井克子「他人の関係」、夏木マリ「絹の靴下」(1973年)[5]、布施明「積木の部屋」(1974年)[6]など、数多くの楽曲の作曲・編曲を担当した[7]。 晩年は日本作曲家協会顧問[8]、日本作編曲家協会理事を歴任[9]。 2021年10月20日、敗血症のため横浜市青葉区の病院で死去[10][11]。83歳没。 (歌手名の五十音順)
来歴・人物
主な楽曲提供作品
作曲作品
あ行
アグネス・チャン「午後の通り雨」
麻丘めぐみ「ねえ」
浅野ゆう子「とびだせ初恋」「恋はダン・ダン」「ひとりぽっちの季節」「彼」
麻生よう子「片隅のふたり」「人は旅人」「話相手」「雪どけ」
荒木由美子「愛しかないのに」
アン・ルイス「白い週末」「明日になったら」「北国の雨にぬれて」「悲しみはふるさとの想い出」「おぼえてますか」
池上季実子「あなたなら」
石野真子「めまい」「彩りの季節(とき)」
石原詢子「三日月情話」
泉アキ「キッスだけでやめて」
伊藤美裕「六本木星屑」
伊東ゆかり「そのひとを愛せますか」
岩崎宏美「熱帯魚」
内田あかり「浮世絵の街」「ねどこ」
岡崎友紀「鳩時計は唄わない」
小川知子「若草の頃」「別れてよかった」
尾崎紀世彦「さよならをもう一度」「五月のバラ」「忘れかけた愛を」「テレーズ夫人」
か行
柏原よしえ「毎日がバレンタイン」
金井克子「他人の関係」
河合奈保子「愛してます」
北原佐和子「土曜日のシンデレラ」
キム・ヨンジャ「南十字星」
ギャル「薔薇とピストル」「マグネット・ジョーに気をつけろ」
草刈正雄「センチメンタル・シティー」
さ行
西郷輝彦「真夏のあらし」「情熱」
西城秀樹「愛に走れ」「青年」(「ブーツをぬいで朝食を」収録曲)「サンタマリアの祈り」
蔡??(サイ ミーミー)「年頃なのね」(「ボーイ・フレンド」B面。作詞:橋本淳 1973年発売)
しばたはつみ「サイレント・トーク」
ジャンボ鶴田「ローリング・ドリーマー」
鈴江真里「海が見える場所」
た・な行
ちあきなおみ「円舞曲(わるつ)」「かなしみ模様」