川口市消防局
消防局・北消防署庁舎(川口市芝下)
情報
設置日1933年4月1日
管轄区域埼玉県川口市全域
管轄面積61.97km2
職員定数571人(2020年度)
消防署数3
分署数10
出張所数なし
分遣所数なし
所在地〒333-0848
埼玉県川口市芝下2-1-1
リンク川口市消防局
川口市消防局(かわぐちししょうぼうきょく、Kawaguchi City Fire Department)は、埼玉県川口市の消防部局(消防本部)。埼玉県の単独消防部局では2番目に規模が大きい消防局で、市南部の県・都境に荒川が流れているため県内で最も早く水難救助隊(水難救助指定隊)を発足させた。また、東京都と隣接するため局地的に人口密度が高く、それに対応した消防力が求められている。
沿革
1948年3月7日 - 消防組織法が施行され、官設消防は自治体消防へと、画期的な機構改革が行われ、総務、予防、消防の3係制の川口市消防本部と、本署、横曽根分署、鳩ヶ谷分署の1署、2分署の川口市消防署を設置。なお、鳩ヶ谷分署に関しては旧鳩ヶ谷町の町域が1950年10月31日まで川口市に存在していたため(同年11月1日より鳩ヶ谷町として独立・分離していった)。
1952年1月25日 - 上青木3-800に上青木分署を設置。
1955年5月28日 - 火災の通知を容易にするため、旧市街地域内に火災報知器MM式45基を設置。
1958年11月1日 - 広報と指揮を兼ねる指令車を配備し、指令系統が充実した。
1959年5月19日 - 市内の救急搬送の要請に対応するため救急車を購入し、救急業務を開始。
1960年10月1日 - 老朽化した木造の横曽根分署を鉄筋コンクリート2階建てに改築。
1962年2月15日 - 市内建物の高層化に対応するため、15m級屈折はしご付消防ポンプ自動車を購入し、救助業務を開始。
1964年3月25日 - 化学の発展に伴う油火災の発生に対処するため、初めて化学車を配備。
1966年
4月1日 - 消防本部を総務、予防、警防の三課制にする。川口市職業訓練所内(青木町5-1292)に川口市消防訓練所を設置。
11月1日 - 消防業務を推進するため消防本部庁舎を本町2-4-39内に新築。鉄筋コンクリート3階建て、延面積1472.52m2、望楼地上40mとなっている。
12月13日 - 大字芝8917に芝分署を設置。
1967年
6月1日 - 元郷町1-151-9に南平柳分署を設置。
8月1日 - 高層建物の著しい建設や化学産業の進出に伴う火災態様の変化に対処するため、救助隊を発足。
1968年2月13日 - 老朽化した木造の青木分署を鉄筋コンクリート3階建てに改築。
1969年
4月1日 - 人口と各種災害の激増に伴い、これに対応するため消防本部に救急指令センターを開設。救急業務の円滑促進をはかった。
4月10日 - 並木地区の急激な発展に対応するため並木町2-24-7に並木分遣所を設置。
12月24日 - 大字東元郷1283-3に鉄筋コンクリート4階建ての新郷分署を設置。
1971年
6月2日 - 大字神戸36に神根分署を設置。
9月1日 - 常時市内を巡らし、火災予防等に効果を上げるため、消防本部予防課指導係に消防巡ら隊を発足(赤バイ、6台編成)。
1972年
4月1日 - 災害の複雑化に伴い、人命救助活動が困難になる。これに対処するために救助器具を積載した救助工作車を購入し、人命救助を主眼とした専任の特別救助隊を発足。
12月10日 - 大字伊刈46に鉄筋コンクリート2階建て、望楼23mの伊刈分署を設置。
1973年11月12日 - 大震災対策及び人口密集地域の警防体制を強化するため、初めて小型動力ポンプ付積載車を配備。
1974年
2月1日 - 市民サービスの一環として消防テレフォンガイドを設置。
3月31日 - 川口市震災対策街角消火器設置要綱が公布され、昭和48年から5ヵ年計画で密集地に街角消火器を設置することとした。
1977年2月14日 - 消防力の強化を図るため、超短波無線を装備した水槽付き消防ポンプ自動車を配備。
1978年4月1日 - 芝園町3-5に鉄筋コンクリート2階建ての芝園分署を設置。
1980年
4月1日 - 青木4-7-18に鉄筋コンクリート2階建ての青木分署を設置。並木分遣所は廃止となり上青木分署に名称変更。自主防火防災体制としての少年消防クラブ、婦人防火クラブの整備強化を図るため、川口市少年婦人防火委員会を設置。
7月24日 - 大震災対策事業の一環として地震体験車「川口なまず号」の運用を開始した。
1981年7月1日 - 予防広報活動を目的として川口市消防音楽隊を設置し、活動を開始。
1983年4月1日 - 人口増加が激しかった戸塚地区に鉄筋コンクリート2階建ての戸塚分署を設置。
1984年4月1日 - 鉄筋コンクリート3階建ての安行分署を設置。
1985年4月1日 - 2年をかけて鉄骨鉄筋コンクリート5階建て、当時は最新の通信指令システムを装備した消防本部、北消防署合同庁舎の建設を開始。
1986年4月1日 - 国外で発生した大規模災害救援をするため自治省消防庁(現:総務省消防庁)の提唱により国際消防救助隊が発足。川口市消防本部も救助工作車1台、隊員10名を1チーム編成して参加。
1987年
1月1日 - 人口50万人に対応する防災の拠点として、消防救急情報システム等コンピューターを使用した消防本部、北消防署合同庁舎が落成し業務を開始。
4月1日 - 雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律の制定に伴い、川口市消防局発足以来初の女性消防吏員を採用。
1988年3月23日 - 複雑多様化する災害に対し、実践的救助技術を強化するため消防訓練塔を消防本部に設置。
1990年
3月9日 - 年々増加する救急需要に対応するため、既存の救急車を最新鋭の2B型救急車に更新し神根分署に配備。
3月23日 - 複雑多様化する救助要請に対応するため、既存の救助工作車II型および救助資器材を更新し、南消防署へ配備。
3月30日 - 複雑多様化する災害に対処するため、資器材搬送車を配置。
4月1日 - 消防本部警防課に救急救助係を新設し、通信指令室を通信指令課に昇格。
1991年1月10日 - 2B救急車を戸塚分署ならびに新郷分署へ配備。
1992年
3月19日 - 37m級はしご付き消防自動車(マイナス角ポンプ装置未着装車)を購入し、安行分署に配備。
3月26日 - 既存の化学消防ポンプ自動車を化学消防ポンプ自動車III型に更新し、南平分署に配備。
6月3日 - 救急救命士法の制定により、職員1名を救急救命中央研修所へ派遣、救急救命士国家試験を経て当消防本部に初の救急救命士が誕生。
1993年3月25日 - 傷病者の救命率の向上を図るため、各種救命資器材を積載した高規格救急車を北消防署に配備。
1994年4月1日 - 潜水活動の特殊性を考慮し、水難救助指定隊(水難救助隊)の運用を開始。
1995年1月18日 - 阪神・淡路大震災が発生。当消防本部から救助工作車・救援車(計2台)、職員を10名派遣し災害活動を行う。
1996年
1月25日 - 阪神・淡路大震災の教訓から、飲料水及び消防用水の確保を目的として、本町小学校及び芝スポーツセンターの敷地内に100?型飲料水兼用耐震性貯水槽を設置。
4月1日 - 火災原因調査をより科学的に遂行するために、予防課調査係に火災原因調査機器(実体顕微鏡システム)を導入。
1997年10月1日 - 男女雇用機会均等法の改正に伴い、時代に即応した消防行政を推進するために、初めて女性職員を交替制勤務(指揮隊並びに救急隊)に配置。
1998年4月1日 - 埼玉県では、代表消防本部である浦和市消防本部(現:さいたま市消防局)が一括して受信し、通報場所を所轄する消防本部へ転送することで、携帯電話からの119番通報が川口市消防本部でも受信できるようになった。