川口大三郎事件
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川口大三郎事件
日付1972年(昭和47年)11月8日
概要革マル派が一般学生を中核派シンパと誤認して殺害
攻撃手段被害者を拉致しリンチを加えて殺害
死亡者1
被害者早稲田大学第一文学部の男子学生・川口大三郎
犯人革マル派活動家
謝罪なし
賠償なし
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川口大三郎事件(かわぐちだいさぶろうじけん)とは、1972年昭和47年)11月8日東京都早稲田大学構内で発生した革マル派による早稲田大学第一文学部の男子学生へのリンチ殺人死体遺棄事件である[1]。早稲田大学構内リンチ殺人事件とも[2]
事件の概要

1972年昭和47年)11月9日早朝、東京大学医学部附属病院前にパジャマ姿の若い男性の遺体が発見された。遺体は全身殴打され、アザだらけで骨折した腕からが出ていた[1]。被害者は当時、早稲田大学第一文学部の学生である川口 大三郎(当時20歳)で、その後、革マル派によるリンチ殺人と判明した[1]

前日の11月8日2時頃に革マル派活動家が川口を中核派のシンパとみなして、川口を早稲田大学文学部キャンパスの学生自治会室に拉致し、約8時間にわたるリンチを加えて殺害、その後、川口の遺体を東大構内・東大付属病院前に遺棄したのである。死亡した川口の死因は、「丸太や角材でめちゃくちゃに強打され、体全体が細胞破壊を起こしてショック死」したもので、「体の打撲傷の跡は四十カ所を超え、とくに背中と両腕は厚い皮下出血をしていた。外傷の一部は、先のとがったもので引っかかれた形跡もあり、両手首や腰、首にはヒモでしばったような跡もあった」という凄惨なものであった[3]

被害者の川口大三郎は、1952年(昭和27年)静岡県伊東市生まれ。三人兄姉の次男で小学校五年生の時に父親が病死し、以後、母親に育てられた。川口は、伊東市立東小学校、同南中学校静岡県立伊東高校を卒業。そして1971年(昭和46年)4月に早稲田大学第一文学部に入学する。川口は当時流行していた学生運動や部落解放運動などに参加していたが、早稲田の第一文学部自治会執行部を握る「革マル派」に失望し、1972年(昭和47年)頃、「中核派」に近づき同派の集会などに参加するようになるが、まもなく中核派にも失望し、その感想を級友や母親に語っていた。また、早稲田学生新聞(勝共連合系学内新聞、現在は廃刊)など右派系学生団体や早稲田精神昂揚会とも接触があったという。中核派は「全学連戦士・川口大三郎同志」などと述べたが、実際には中核派とはほとんど関係がなかった。
捜査と裁判

この事件で、1972年(昭和47年)12月11日、まず革マル派のメンバー2人が警察に逮捕された[4]。その後、1973年(昭和48年)10月21日、22日、革マル派の活動家5人が警察に逮捕された[5][6]。逮捕されたメンバーのうち5名が起訴され(1名は分離公判)、1974年(昭和49年)7月31日、分離公判の被告(事件当時一文自治会書記長)に懲役5年の判決[7]、1976年(昭和51年)3月18日、統一公判の被告4名全員に有罪判決が下った[8]
事件後

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革マル派の声明とそれへの糾弾

川口の遺体が翌日発見された後、革マル派は川口の殺害を正当化する犯行声明を発表した。この革マル派の声明に多くの学生たちは耳を疑い、革マル派に対して反発、怒り、批判の声を上げた。そして、早稲田大学では全学的な革マル派および革マル派と癒着する早稲田大学当局へ批判が強まり、革マル派は追いつめられることになった。革マル派全学連委員長の馬場素明は、責任をとって全学連委員長を辞任し、「徹底的に自己批判し、深く反省する」という声明を出した。

しかし、学生たちの怒りは収まらず、数百人から数千人規模の革マル派糾弾・抗議集会が連日続き、1972年(昭和47年)11月28日、第一文学部学生大会を皮切りに理工学部を除く各学部で学生大会が行われ、革マル派自治会執行部がリコールされ、自治会再建をめざす臨時執行部が選出された。また、一文、教育、政経、社会科学の各学部でも、正式執行部が選出された。左翼内ゲバ犠牲者は多いが、このように多くの学生が虐殺事件の糾弾に広く立ち上がったのは、「川口大三郎事件」が唯一である。
臨時執行部の混迷

だが、新しく選出された臨時執行部はさまざまな学生たちの寄せ集めであり、成立と同時に内部の意見対立が起きた。意見対立は1973年入学式への対応(黒ヘルメットをかぶって乱入・会場占拠するか、静かなデモをおこなうか)などで表面化した。

1973年(昭和48年)5月、反革マル派学生は早稲田大学総長の村井資長に対する大衆団交をおこなったが、これは一部の学生が授業中の村井総長の教室に乱入して村井資長総長を拉致したものであった。村井資長総長は一度はより広範な学生との総長団交を約束したが、まもなく混乱を理由に約束を破棄した(第3次早大闘争)。村井資長総長はその後、早大原理研究会の勧めで「川口記念セミナーハウス」建設に自身の別荘地を提供し、1976年(昭和51年)に竣工したが、そこが統一教会の修練場となっていることを知り、週刊誌に告発、統一教会から名誉棄損で訴えられ、十数年にわたって係争した。


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