川南町
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かわみなみちょう 
川南町
宗麟原供養塔


川南町旗川南町章
1953年2月11日制定

日本
地方九州地方
都道府県宮崎県
児湯郡
市町村コード45405-2
法人番号8000020454052
面積90.13km2

総人口14,400人 [編集]
推計人口、2024年4月1日)
人口密度160人/km2
隣接自治体児湯郡高鍋町都農町木城町
町の木サザンカ
川南町役場
町長[編集]東高士
所在地889-1301
宮崎県児湯郡川南町大字川南13680-1
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯32度11分31秒 東経131度31分33秒 / 北緯32.19203度 東経131.52586度 / 32.19203; 131.52586座標: 北緯32度11分31秒 東経131度31分33秒 / 北緯32.19203度 東経131.52586度 / 32.19203; 131.52586
川南町役場町庁舎位置
外部リンク公式ウェブサイト

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川南町(かわみなみちょう)は、宮崎県の中部にある児湯郡に属す。日本三大開拓地[1][2]の1つである。

宮崎県農協果汁(サンA)や、児湯食鳥など宮崎県でもトップクラスの年商の企業の本拠地でもある。[3][出典無効]
地理

宮崎県の中東部、宮崎市から北東約35kmの宮崎平野北部に位置している。西側の一部は尾鈴山地で、それ以外は河成段丘が広がり、これが海岸付近まで迫っている。東側は日向灘に面している。今後発生が予見されている南海トラフ巨大地震の際には、町内の海岸に最大11mの津波が到達することが予想されている[4]

町の中心部を平田川が流れ、町の北端部を名貫川が流れている。町名の川南はこの名貫川の南に因む[5]

年間降水量は2,400mmほど、年間日照時間も2,100時間と年間の数字をみれば申し分はなくむしろ恵まれているが、降水量のほとんどが梅雨と台風の時期に集中するため春や夏はほぼ雨に恵まれない[6]。町内の多くを占める丘陵地は乾燥した原野であり、第二次世界大戦後に開拓が本格化するまでは長年未開発の状態であった[6]

中心地域は通称「トロントロン」と呼ばれている。この名の由来として次の2つの説が唱えられている。
西南戦争の際に敗走する西郷隆盛の一行が、ぬかるんだ地面を「トロントロンとしている」と言ったとする説

湧き水があり、水の音が「タランタラン(トロントロン)」と聞こえたとする説

隣接している自治体

児湯郡高鍋町

同郡都農町

同郡木城町

地名

川南

平田

歴史

平坦で乾燥した丘陵地が広がる川南原は、水がなく耕作に適しない地域であったが、江戸時代より讃岐国や周辺地域の住民を受け入れての小規模な新田開発が行われていた[6]。明治時代には高鍋藩の士族による用水路を築いての新田開発や、県内外から農民を集めての大規模農場開発が行われたが、丘陵のほとんどは未開発のままであり、川の水をめぐっての争いが絶えなかった[6]

1911年に第13代宮崎県知事有吉忠一により川南原の開発事業が計画され、1925年には宮崎県より国に対し、国営大規模開墾事業を求める申請が出された[6]1927年には政府が大規模開墾計画を策定し、全国の500ヘクタール以上の開墾可能地を国営で設計・開拓することとなったが、全国からの希望が殺到し候補選定は難航した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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