川久保玲
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かわくぼ れい
川久保 玲
生誕 (1942-10-11)
1942年10月11日(81歳)
日本 東京
出身校慶應義塾大学文学部哲学科卒業
職業ファッションデザイナー
団体株式会社コムデギャルソン
┗代表取締役社長
著名な実績「コム・デ・ギャルソン」の運営
受賞日・毎日ファッション大賞(1983年)
仏・芸術文化勲章シュバリエ(1992年)
日・芸術選奨(2001年)
日・朝日賞(2003年)
仏・国家功労勲章(2004年)
米・CFDA賞(2012年)
米・イサム・ノグチ賞(2019年)
日・文化功労者(2023年)
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川久保 玲(かわくぼ れい、1942年10月11日[1] - )は、日本ファッションデザイナー実業家ファッションブランドコム・デ・ギャルソン」創始者[2]で、株式会社コムデギャルソン設立から現在まで代表取締役社長を務めるオーナーデザイナー。
経歴川久保玲

東京にて出生。幼稚舎から慶應義塾で学ぶ[3][4]慶應義塾中等部慶應義塾女子高等学校を経て、慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史学専攻を卒業後[5]株式会社旭化成宣伝部に入社[6]。3年で退職し、フリーランススタイリストとなる。

1969年にファッションブランド「コムデギャルソン」(Comme des Garcons、:少年のように)を立ち上げ、高級既製服(プレタポルテ、婦人服)の製造・販売を開始。1973年には株式会社コムデギャルソンを設立し、現在も同社社長を務める。1975年、東京コレクション初参加。1981年、パリコレクション初参加。体の線を意識し女性性を謳歌するような西洋のデザインとは全く異なる、川久保の直線的でノンセクシャルな初パリ・コレクションは、ボロ布のようだ、ヒロシマ・シックなどと揶揄されたが、そのアバンギャルドな服作りは、パリのファッション界に大きな衝撃を与えた。[7]

1982年、パリコレで伝説の黒服を発表。パリ・オートクチュールを頂点とする世界のモード界を震撼させた川久保の「黒服、穴あきニット(Hole Sweater)」は「黒の衝撃」と呼称された。世界中のファッション・ジャーナリストが賛否両論書きたて、「西洋の服への冒涜!」とする否定派と「新しい女性の生き方」「新しい美しさの提案」とする賛成派で、国際世論は真っ二つに割れた[要出典]。黒い穴あきセーターを「スイスチーズ(穴あき)のセーター(Swiss cheese sweaters)」と命名したファッションジャーナリスト(Suzy Menkes氏、I・H・T紙)もいた。川久保の黒い穴あきセーターは、日本でも「カラス族」「ぼろルック」として流行した。

1997年のパリコレクションでは、体に不自然なコブを付けたライン(テーマ:ボディ ミーツ ドレス、ドレス ミーツ ボディ)を打ち出し[8]、体と服の相互の束縛を解き放つという新しいコンセプトで、尖鋭的なデザイナーとしての地位を確立した[9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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