川上麻衣子
[Wikipedia|▼Menu]

かわかみ まいこ
川上 麻衣子
別名義MAIKO KAWAKAMI
生年月日 (1966-02-05)
1966年2月5日(58歳)
出生地 スウェーデン ストックホルム
国籍 日本
身長162 cm
血液型B型
職業女優タレント
ジャンルテレビドラマ映画バラエティ
活動期間1980年 -
配偶者なし(離婚歴あり)
著名な家族川上信二(父・インテリアデザイナー)
川上玲子(母・インテリアデザイナー)
事務所ステージUPスタジオ
公式サイト ⇒川上麻衣子ねこと今日YouTube
主な作品
テレビドラマ
3年B組金八先生
青が散る
牡丹と薔薇
麗わしき鬼
天国の恋
映画
うれしはずかし物語
その男、凶暴につき
『でべそ』

 受賞
日本映画プロフェッショナル大賞
主演女優賞
1996年でべそTAMA映画祭
最優秀作品賞
2011年一枚のハガキ
2020年海辺の映画館―キネマの玉手箱

テンプレートを表示

かわかみ まいこ
川上 麻衣子プロフィール
公称サイズ(時期不明)
身長 / 体重162 cm / ― kg
靴のサイズ23.5 cm
単位系換算

身長 / 体重5 4 / ― lb

活動
デビュー1980年
ジャンル女優
事務所[ステージupスタジオ]
モデル: テンプレート - カテゴリ

川上 麻衣子(かわかみ まいこ、1966年昭和41年〉2月5日 - )は、日本女優

スウェーデンストックホルム生まれ。ステージUPスタジオ所属。
来歴

ともにインテリアデザイナーである両親[1]が改めて北欧家具を勉強するために揃ってスウェーデンの大学へ留学した経緯で、スウェーデン・ストックホルムで誕生[2]。その後1歳で帰国[3]

玉川学園初等部に入学後、9歳で再びスウェーデン訪れ約1年間をで過ごす[4]玉川学園中学部から高等部へ進級したが芸能活動が認められていなかったことから1年で退学を決意、1982年NHK学園高等学校に編入し1985年に卒業した。[4][5]。その後1997年に放送大学にも全科履修生として入学しており、同大の「大学の窓」等でも取り上げられたことがある。

中学部在学中の1979年より児童劇団「ピノキオ」にて週1回のレッスンを受け[4]1980年NHKドラマ人間模様『絆』でデビュー[6]。『3年B組金八先生』第2シリーズ(1980年 - 1981年)でヒロインの優等生・迫田八重子を好演。最終回の視聴率が34.8%という驚異的な数字を記録した同作品により一躍注目を集めた[7]

先述の高校退学を機に短期間ではあるが芸能界を一旦辞め、編入後に市川崑監督作品『幸福』で女優復帰[8]。1981年にはアイドルとしてラジオシティレコードより「白夜の世代」で歌手デビュー。その後出した写真集『暑い国 夢の国 生まれた国』(撮影:篠山紀信)では、10代にして初ヌードを披露した[8]

1988年公開の『うれしはずかし物語』で映画初主演。1996年には同年2月公開の映画『でべそ』での演技により第6回日本映画プロフェッショナル大賞主演女優賞を受賞。上記の写真集や女優業でヌードを披露したことから、「色気と艶のある女性」のイメージがついた[3]

1996年には、以前から交流のあった志村けん[3]の深夜バラエティ『志村X』シリーズに出演(2000年まで)。次番組の『変なおじさんTV』にもレギュラー出演し、コミカルな芝居にも挑戦した。

遡って1993年頃、NHKの番組をきっかけにガラス工芸作家の石井康治から吹きガラスを習った[3]。その後2001年から北欧のガラス工芸に魅せられ、小樽で若手の作家と出会ったことを契機に、女優業と並行して自らガラスを吹きデザインを行うガラスデザイナーとしても活動を開始。

ほどなくして「MAJKO.K」ブランドを展開し、2005年に初の個展を開催して以降隔年で個展『川上麻衣子のガラスデザイン展』を催している[9][10][11]

2016年10月、『酒とつまみと男と女』(BSジャパン[12] のロケで訪れて惚れ込んだという東京谷中に、スウェーデンから直輸入したインテリアや小物、自らデザインしたガラス工芸品などを揃えたセレクトショップ「SWEDEN GRACE」(スウェーデングレイス)を開店[3]。母やスタッフと交代で自らも店頭に立つ[13][14][15]。2018年に一般社団法人「ねこと今日」を立ち上げた[8]。2022年頃は上記の他、絵本の翻訳、エッセイの執筆など多方面で活躍している[8]

私生活では、1996年に中学時代の同級生で初恋の相手だった鞄デザイナーと結婚したが、2000年11月に離婚している[16]。また、長年の愛猫家としても知られる[8]
エピソード
子供時代

母がスウェーデンで2年間仕事をすることになったことから、一人っ子で当時9歳の川上も現地で暮らすことになった[3]。ほどなくしてスウェーデンの言葉を喋れるようになるが、次第に日本語がたどたどしくなったり、現地の影響を受けすぎたこと[注釈 1]を母親が不安視したため、予定を1年切り上げて母子で帰国することとなった[3]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:139 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef