元サッカー選手の「川上信夫」とは別人です。
かわかみ のぶお
川上 量生
2012年4月28日、「ニコニコ超会議3」にて
生年月日 (1968-09-06) 1968年9月6日(55歳)
出生地 日本・愛媛県
国籍 日本
職業実業家
ジャンルアニメーション映画
実写映画
配偶者須賀千鶴(妻)
主な作品
アニメーション映画
『風立ちぬ』(プロデューサー見習い)
『かぐや姫の物語』(プロデューサー見習い)
『思い出のマーニー』(プロデューサー見習い)
『龍の歯医者特別版』(制作統括)
実写映画
『巨神兵東京に現わる劇場版』(製作補)
『夢と狂気の王国』(プロデューサー)
『シン・ゴジラ』(企画協力)
テレビアニメ
『山賊の娘ローニャ』(プロデューサー)
『龍の歯医者』(制作統括)
『殺戮の天使』(製作)
『バーチャルさんはみている』(企画)
書籍
『ルールを変える思考法』(著)
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川上 量生(かわかみ のぶお、1968年〈昭和43年〉9月6日 - )は、日本のシステムエンジニア、実業家、映画プロデューサー。公益財団法人角川文化振興財団理事長、株式会社KADOKAWA取締役、株式会社カラー取締役、株式会社バーチャルキャスト取締役[1][2][3]、株式会社スタジオジブリ所属、株式会社ドワンゴ顧問、株式会社角川アスキー総合研究所顧問、学校法人角川ドワンゴ学園理事、公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団理事。愛称はカワンゴ[4]。
株式会社ソフトウェアジャパンでの勤務を経て、株式会社ドワンゴ代表取締役社長(初代)・会長を歴任。後にカドカワ株式会社(現・株式会社KADOKAWA)代表取締役社長にも就任。 愛媛県で生まれ、大阪府で育つ[5]。京都大学工学部在学中からCAD/CAMシステムや教育向けの業務用ソフトウェアの開発を手掛ける。1991年に同大学卒業後、ソフトを委託していた関係で株式会社ソフトウェアジャパンに入社した。同社では通信モデムやビデオカード、パソコン周辺機器の企画、販売に携わった。特にモデムはオンラインゲーム「DOOM」のアクセス権をおまけにした[6]。 その後、勤務先のソフトウェアジャパンが倒産して事業の引受先を探したが難航、1997年に自らドワンゴを設立するに至った[7][6]。 ドワンゴはアメリカのInteractive Visual Systems Corporationとのジョイントベンチャーとして創業され、当初はオンラインゲームの通信システムの開発を主な事業としていた。創業には、当時マイクロソフトに居たジェイムズ・スパーン(のちドワンゴ取締役)とフリーソフト開発集団Bio_100%のリーダーだったaltyこと森栄樹(のちのドワンゴ相談役)の協力があった[8]。初期は受託開発がメインで、中野真らの元「廃人軍団」チームを率いて、ドリームキャスト向けの「セガラリー2」の開発に取り組んだ[9]。1999年11月には、iモード用ゲームコンテンツサイト「ドワンゴかもね」を開始、「釣りバカ気分」などのガラケー向けゲームを展開した。2000年には同社の会長に就任[6][10]、その後、着メロ・着ボイス事業に進出した[10]。
来歴
実業家として