川の流れのように
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「川の流れのように」
美空ひばりシングル
初出アルバム『川の流れのように?不死鳥パートII』
B面あきれたね
裏窓(1991年盤)
歌の里(1998年盤)
愛燦燦(2003年盤、2008年盤)
人生一路(2008年盤)
リリース1989年1月11日
1991年7月21日
1993年7月21日(再発)
1998年5月29日
2000年3月21日
2003年8月20日
2008年4月23日
ジャンル歌謡曲
レーベル日本コロムビア
作詞・作曲秋元康(作詞)
見岳章(作曲)
ゴールドディスク


第31回日本レコード大賞・特別栄誉歌手賞、金賞、作曲賞

第20回日本歌謡大賞・特別栄誉賞

第22回日本有線大賞・有線音楽賞

第18回FNS歌謡祭・特別賞

チャート最高順位

週間8位(オリコン[1]

1989年度年間35位(オリコン)

1990年度年間78位(オリコン)

10位(ザ・ベストテン

美空ひばり シングル 年表

みだれ髪
1987年)川の流れのように
(1989年)流れ人
1999年


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「川の流れのように」(かわのながれのように)は、1989年1月11日に発売された、日本歌手美空ひばりの生前最後に発表されたシングル作品である。

2006年平成18年)に文化庁日本PTA全国協議会によって「日本の歌百選」に選定されている[2]
解説

作詞は秋元康、作曲は見岳章による。オリジナルの編曲は竜崎孝路によって行われた。元々は1988年12月発売のアルバム『川の流れのように?不死鳥パートII』の表題曲で、シングルカットは、当初スタッフの意見は全員一致でポップス調の「ハハハ」にするつもりだった[3]が、レコーディングしたひばり本人の強い希望もあってこちらに変更された。なお、「ハハハ」は1990年6月21日に同じく『川の流れのように?不死鳥パートII』収録曲である「女は昨日のために男は明日のために」をカップリングとしてシングルカットされた。

元々、アルバム『川の流れのように?不死鳥パートII』は「自分の歌から遠い若い世代の人たちにメッセージを残したい」というひばりの意向により製作されたため、作詞には当時、作詞家・放送作家として若者からの人気を得ていた秋元が起用された。当初、「ハハハ」をシングルカットする意向だったスタッフに対して、ひばりは自分の人生と本楽曲を重ねて「1滴の雨が木の根を伝い、せせらぎが小川になる。水の流れがあっちにぶつかり、こっちに突き当たりしながらだんだん大きくなる。やがて大河になり、ゆっくりと海にたどり着く」と発言し、本楽曲のシングルカットを希望した。「あちこちにぶつかり」を説明するひばりのジェスチャーもだんだん大きくなって、普段はスタッフの意見を尊重するひばりが「お願いだから、これだけは私に決めさせて!」と熱望したという[3]

1988年10月11日日本コロムビア本社内で行われた、オリジナルアルバム製作の報告も兼ねた、ひばりにとって生涯最後の記者会見の時にひばりは本楽曲について自ら発言している。この記者会見前には、当初はシングル化されるはずだったアルバム内の一曲「ハハハ」が秋元が立ち合いの下、公開初披露されていた。ある記者が「ひばりさん、今回のアルバムを楽しみにされているファンの方々が沢山いらっしゃるかと思いますけれども、アルバムに収録されてる10曲がどんな曲なのか、紹介していただけますか?」と投げかけた。するとひばりは「えー…もう『川の流れのように』の曲を1曲聴いていただくと、10曲全てが分かるんじゃないでしょうか。だからこれからの私。大海へスーッと流れる川であるか、どこかへそれちゃう川であるかっていうのは誰にも分からないのでね。だから『愛燦燦』とはまた違う意味のね、人生の歌じゃないかなって思いますね…」と、それまでのスタッフの意向を全て覆す回答を残した。ひばりの記者会見後、製作部はバタバタしながら1989年1月のリリース準備に入ったという。

1989年平成元年)1月11日日本コロムビアより発売されたが、同年6月24日、ひばりは52歳で死去し、結果的に本楽曲は遺作となった。没後にシングル盤は売上を伸ばし、150万枚を売り上げるミリオンセラー(オリコンによる集計では41.8万枚)となり[3]1964年の「」に次ぐヒット曲となった。その後も売り上げを伸ばし、2019年時点では205万枚を売り上げ、「柔」を上回り自身最大売上のシングルとなっている[4]

1989年7月22日青山葬儀所で執り行なわれたひばりの本葬では、北島三郎都はるみ雪村いづみ森昌子などといった数多くの歌手仲間が本楽曲を斎場で歌い、ひばりの霊前に捧げた。

この曲の「川」とは、ニューヨークイースト川のことである。当時の秋元はニューヨークに在住しており、現地のカフェ「カフェ・ランターナ」で作詞した。秋元は、いつもは作詞を終えてからタイトルを付けているが、その時は不思議と何も考えずに「川の流れのように」というタイトルから書き始めており、そのようなものは唯一の作品だという[5]。後に本人は、「多分それはずっとイーストリバーを見ていたからなんでしょう」と回想している[6]

同年末の第31回日本レコード大賞では、本楽曲に「金賞」と「作曲賞」が授与されるとともに、故人となったひばりにも「特別栄誉歌手賞」が授与された[7]。長年にわたる彼女の偉大な業績を称えて、この年から日本レコード大賞に「美空ひばり賞」(後に「美空ひばりメモリアル選奨」へ変更)も新設された。

本曲(フルコーラス)を、生前のひばり本人が歌唱する貴重といえる映像を持つテレビ局は、TBS(正月特番『春一番! 熱唱美空ひばり?いま誓い新たに燃える不死鳥全25曲?』1989年(昭和64年)1月4日放送)、テレビ東京(『演歌の花道』1989年(平成元年)1月15日放送)、フジテレビ(『ミュージックフェア』1989年1月15日放送)の3局のみである。この内、テレビ東京の番組素材が、日本コロムビア制作によるレーザーディスクカラオケの本人歌唱映像として編集され、1990年代に市販されていた。2004年からは同社の出資会社でもある第一興商の「BBサイバーDAM」「プレミアDAM」におけるカラオケ映像としても流用されている。

日本放送協会(NHK)が1997年4月から12月にかけて実施した「20世紀の日本人を感動させた歌」の人気投票で、全国1775万4314票・1万9824曲の投票の中から本曲が43万7518票を獲得して1位に選ばれた[8]
ニューバージョン

2000年3月に、映画『川の流れのように』の主題歌として久石譲による編曲でピアノ伴奏とオーケストラ演奏に一新した「川の流れのように 2000」が発売された。マルチトラックのボーカルチャンネルだけを抜き出し、ミキシングする手法が用いられている。

さらに、ミレニアム企画として同年7月に発売されたトリビュートアルバム『美空ひばり トリビュート』では武部聡志による編曲でバラード調の楽曲に仕上がった「川の流れのように Millennium」が収録され、参加アーティストによる“歌詞パートの歌い継ぎ”に混ざってひばりも参画している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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