巖谷國士
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巖谷 國士(いわや くにお / 略字表記は巌谷 国士、1943年1月7日 - )は、日本のフランス文学者評論家随筆家写真家小説家明治学院大学名誉教授。
人物紹介

フランス文学者としての専門領域は、第1に、作家アンドレ・ブルトンや画家マックス・エルンストマン・レイなどを中心とする20世紀のシュルレアリスムの文学・美術・写真・映画と、その国際的・歴史的展開。それらについて多くの書を発表している。第2に、 シャルル・フーリエを中心とする18‐19世紀のユートピア思想、オカルト思想、第3に、シャルル・ペローを中心とする17‐18世紀の昔話メルヘンで、これらの方面の著書訳書も多い。

批評家、エッセイスト、講演家としての活動は、文学、美術、映画、写真、漫画、メルヘンのほか、旅、都市、庭園、温泉、食物などの領域にわたり、さまざまな著書がある。

紀行作家、旅行写真家としては、日本全県と世界全州60数か国をめぐり、ヨーロッパ諸国、地中海、オリエント世界、アジアと日本各地についての著述や講演が多い。また庭園の紀行も、著書の一分野をなしている。それぞれに自身の撮影した写真を用い、その写真による個展も行なわれている。

近年では創作メルヘンも発表しており、専門・批評書やエッセー集のほか、展覧会の監修やカタログの編集執筆、また芸術、文化、地域などについての講演の仕事が増えている。
略歴

東京市芝区(現港区高輪に生まれる。国文学者・巖谷榮二の長男で、祖父はメルヘン作家・児童文学者の巖谷小波(季雄)、曾祖父は書家・医師・貴族院議員の巖谷一六(脩)。叔父に最高裁長官の藤林益三、文芸評論家の巖谷大四、従兄に国立第二病院長の泉周雄、英文学者で東大名誉教授の橋口稔、母方の叔父に渡米した画家・彫刻家の吉村二三生がいる。

幼少時から文学、美術、漫画、映画、建築、園芸などに親しみ、東京の町々を歩く。区立中、都立高・神奈川県立湘南高等学校[1]をへて、1961年に東京大学文科2類に入学し、世田谷区松原に住む。大学闘争と同人誌活動の間に扇田昭彦藤井貞和らと親交をむすび、たまたま隣家に住んだ池田満寿夫富岡多恵子とも交流。

1963年、瀧口修造と、ついで澁澤龍彦と出会い、長く交友する。それをきっかけにシュルレアリスムを生涯のテーマときめ、東京大学文学部仏語仏文学科に進学。卒業論文にアンドレ・ブルトン論を書いて同大学院へ。シュルレアリスム研究者・批評家としてデビューし、詩や美術の雑誌にエッセーを発表しはじめる。

修士論文にはシャルル・フーリエ論を書き、博士課程へ。1968年から1970年にかけて、ワルドベルグ『シュルレアリスム』、ブルトン『ナジャ』、フーリエ『四運動の理論』の翻訳を刊行している。

その間に石井恭二、松山俊太郎加藤郁乎種村季弘野中ユリ谷川晃一加納光於土方巽唐十郎、金井久美子、金井美恵子らを知る。映画輸入会社の資料翻訳、非常勤講師などで自活していたが、父が亡くなった直後の1970年、明治学院大学文学部フランス文学科の専任講師となり、助教授、教授を経て、2011年に定年退任し名誉教授。

この時期は、創刊間もない中央公論社『』で「評伝アンドレ・ブルトン」を不定期連載。他にシュルレアリスムの文学・美術をめぐるエッセーや、フーリエとユートピア思想・オカルト思想などについての論考を発表。1974年、シュルレアリスム100年を記念する桑原茂夫の企画で、中西夏之、野中ユリ、高梨豊の美術と写真による協力を得て、ブルトン『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』初版の全訳を刊行した。

人文書院の『アンドレ・ブルトン集成』と河出書房新社の「骰子の7の目 シュルレアリスムと画家たち」シリーズでは、監修者の瀧口修造を補佐し、白水社の「小説のシュルレアリスム」シリーズでは企画に加わるとともに、多くの巻の解説を書く。これらのシリーズのうち、ブルトン『失われた足跡』、パスロン『ルネ・マグリット』、イヴシッチ『トワイヤン』、ブルトン『ナジャ』初版本、ルネ・ドーマルの小説『類推の山』などの翻訳を担当。ほかにマンスールの小説集『充ち足りた死者たち』や、エルンストの『百頭女』をはじめとするコラージュ・ロマン三部作と『絵画の彼岸』などの訳書を上梓している。

専門の著書としては、1976年に『幻視者たち 宇宙論的考察』と『シュルレアリスムと芸術』を、1977年に『ナジャ論』と『シュルレアリスムと小説』を刊行。雑誌『ユリイカ』別冊「シュルレアリスム」「ダダ・シュルレアリスム」の責任編集と執筆、また「遊びの百科全書」シリーズ『暗号通信』の監修と執筆などもしている。

文学・映画・演劇・漫画などの批評書としては、1979年に『宇宙模型としての書物』と『映画の一季節』を刊行し、前者では稲垣足穂花田清輝手塚治虫萩尾望都など、後者ではSF映画や女性映画日活ロマンポルノメリエスからブニュエルオーソン・ウェルズの作品まで、また少女マンガアニメーションなどもとりあげた。


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