嶺 春泰(みね しゅんたい、延享3年(1746年)?寛政5年10月6日(1793年11月9日))は、江戸時代中期の蘭方医。晴泰は号で、諱は観、幼名は粂五郎、 字は子光。 上野国高崎藩の藩医の家に生まれる。宝暦7年(1757年)に父が急逝したために翌年家督を継ぎ、宝暦12年(1762年)に藩主松平輝高の命令によって江戸詰を命じられ、安永6年(1777年)に藩主の御匕役に任じられた。後に山脇東門
経歴
墓所は当初は江戸本郷の三念寺にあったが、現在は多磨墓地に改葬されている。
参考文献
近藤章「嶺春泰」(『群馬県百科事典』(上毛新聞社、1979年))
片桐一男「嶺春泰」(『国史大辞典 13』(吉川弘文館、1992年) ISBN 978-4-642-00513-5)