嶋原清子
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第33回つくばマラソン(2013年)で疾走する嶋原清子(画像左側)

嶋原 清子(しまはら きよこ、1976年12月22日 - )は、日本女子陸上競技長距離走マラソン)元選手。山口県大島郡周防大島町出身。高水高等学校国士舘大学卒業。身長154cm、体重43kg。1999年4月資生堂ランニングクラブに入部し、その後8年間所属していたが、2007年4月1日をもってセカンドウィンドAC(SWAC)に移籍した。

2010年5月、当時陸上競技の現役選手で佐久長聖高等学校・陸上部コーチ2011年3月より同校陸上部監督就任)の高見澤勝結婚、その後ミセスランナーとしても活躍した。2012年1月29日大阪国際女子マラソンで現役引退[1][2]。2012年12月6日、第一子となる男子を出産した[3]

現役引退後は主にSWACスタッフを務め、2013年4月よりSWACのリーダーとして活動中(同時にSWAC監督だった川越学はアドバイザーへ転任)。
来歴

2003年11月に開催された
東京国際女子マラソンでは、気温20度を超える季節外れの高温であった。その影響のせいか同レースに出走の女子選手達は、レース終盤に失速したり途中棄権も多く目立った(アテネオリンピックを目指した高橋尚子も、30Km手前からの大失速でまさかの2位と敗退、それが響きアテネ五輪落選)。そんな中、嶋原は終始安定した走りを見せて、3位でフィニッシュした[4]

2004年11月開催の東京国際女子マラソンでは、10Km手前で先頭集団から抜け出したエルフェネッシュ・アレム(エチオピア)、千葉真子らにはついていかず、マイペースを維持。嶋原は35Kmを過ぎてから徐々にペースを上げ始め、40Kmを過ぎると先頭を走っていたアレムと千葉を追い越し逆転。しかし優勝したブルーナ・ジェノベーゼ(イタリア)には、わずか9秒差で届かず2位だった[5]。翌2005年8月開催の世界陸上ヘルシンキ大会女子マラソン代表には、補欠に留まる[6]

2005年8月開催の北海道マラソンでは、当時の大会記録で優勝した千葉真子に惜しくも敗れて2位だったが[7]、自己記録を29秒上回ってのフィニッシュとなった。

2006年12月に開催のドーハアジア競技大会女子マラソンは、号砲直後ハイペースで一人飛び出した周春秀中国)についていかず、同じ日本代表の小幡佳代子と併走する。レース終盤でペースの落ちた周を追い上げるも届かず、優勝の周とは3分以上の差をつけられた。フィニッシュ直前まで小幡と2位争いのデッドヒートを繰り広げたが、残り1Kmを過ぎて嶋原がスパート、銀メダルを獲得した[8]。なお40Km地点の給水所で、嶋原は自分のスペシャルドリンクを取った後、小幡にもドリンクを手渡す場面があった。この成績が評価され、翌2007年9月開催の世界陸上大阪大会女子マラソン代表に初選出された。

2007年9月の世界陸上選手権女子マラソン本番当日の大阪は、スタート時の朝7時で27.5度、湿度74%という高温多湿の気象条件だった。高温下のスタミナ勝負となれば嶋原にも上位入賞が十分期待されていたが、結果6位入賞の好成績でフィニッシュする。しかし3位入賞し銅メダル獲得、翌2008年8月開催の北京オリンピック代表に即内定となった土佐礼子らには、あと一歩届かなかった[9]

翌2008年3月開催の名古屋国際女子マラソンに再び北京五輪代表を目指して出場したが、レース中盤の26Km付近で優勝争いの先頭集団から脱落し、結局11位に終わった。

2008年10月開催のシカゴマラソンでは、気温25度を超える高温の気象条件を苦にせず、北京五輪女子マラソン金メダリストのコンスタンティナ・トメスクルーマニア・4位)に先着、3位に入った[10]

2008年12月に開催されたホノルルマラソンでは、海外メジャーマラソンで初優勝を果たす(同マラソンの日本人優勝者は2003年の早川英里以来5年ぶり2人目)。2位には当時SWAC所属だった吉田香織がフィニシュ、ホノルルマラソンでは日本人初となるワンツーフィニッシュを達成した。

2009年8月に開催された北海道マラソンでは、スタートしてから間もなく同SWACの尾崎朱美と先頭争いを繰り広げたが、12Km過ぎに嶋原が抜け出してからは独走となる。気温が25度を下回る涼しい好条件もあって、結果過去に千葉真子の持つ大会記録を36秒更新、自身も4年前の同マラソンで出した自己ベストを、さらに1分以上更新する2時間25分台のタイムで、念願の国内メジャーマラソンで初優勝を飾った。また2位には尾崎朱美が入り、昨年12月のホノルルマラソン同様に、SWAC選手同士でワンツーフィニッシュを果たした[11]

2009年11月、記念すべき第1回大会の横浜国際女子マラソンに出走。インガ・アビトワロシア)の30Km付近から仕掛けたロングスパートにはついていけず、一時3番手に下がったものの、36.5Kmでキャサリン・ヌデレバケニア)を追い越し逆転、日本人トップの2着(当初)だった(しかし4年後の2013年11月、アビトワのドーピング違反により失格と判定され嶋原が繰り上がって優勝、横浜国際女子マラソンの初代女王となった[12])。


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