崔 済愚(チェ・ジェウ、さい せいぐ、???、1824年12月18日(旧暦10月28日) - 1864年4月15日(旧暦3月10日))は、李氏朝鮮(李朝)後期の宗教家。排外的な新宗教、東学を創始した。『竜潭遺詞』、『東経大全』などを書いた。 1824年、慶尚北道の慶州で生まれた。1860年に慶州の竜潭亭で天啓を受け、儒教・仏教・民間信仰などを融合した東学を創始した[1]。東学という名称には、西学(キリスト教)への対抗がみられた[1]。かれは、やがて理想的な「後天開闢」の時代がやってくるので、人びとは東学の信者となり、熱心に呪文を唱えて修養に励み、霊符を飲むことで天と人が一体となることを説いたが、これが当時の厳格な身分制社会、李朝の統治理念である儒学思想を動揺させる恐れがあったため、1863年に政府によって捕らえられ、翌年に「邪道亂正」の罪で処刑された[1][注釈 1]。 典拠管理
目次
1 生涯
2 脚注
2.1 注釈
2.2 出典
3 参考文献
4 関連項目
生涯
脚注によってその教団が指導された。
出典^ a b c 糟谷(2000)pp.223-225
参考文献
糟谷憲一 「朝鮮近代社会の形成と展開」『朝鮮史』 武田幸男編集、山川出版社〈世界各国史2〉、2000年8月。ISBN 4-634-41320-5。
関連項目
東学
大院君政権
全?準
甲午農民戦争
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