崎谷健次郎
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崎谷 健次郎
さきや けんじろう
出生名崎谷 健次郎
生誕 (1962-12-30) 1962年12月30日(61歳)
出身地 日本広島県福山市
学歴日本大学芸術学部音楽学科中退
ジャンルJ-POPシティポップ、アダルトコンテンポラリー映画音楽劇伴
職業シンガーソングライター
音楽プロデューサー
担当楽器ボーカル
キーボード
ピアノ
ギター
活動期間1983年 - (キーボーディスト
1985年 - (作曲家
1987年 - (歌手
レーベルPONY CANYON SEE-SAW
MOONLIGHTING RECORDS
LUNCH TIME CAFE / IMPRESSION
UNIVERSAL MUSIC
事務所1983年 VIZION OFFICE
1987年 - 1998年 CANYON MUSIC
1999年 - 2006年 MOONLIGHTING
2006年 - 2007年 OFFICE WALKER Walker Brothers
2008年 - IMPRESSION
共同作業者秋元康Kenn Kato田口俊
武部聡志松井五郎有木林子
公式サイト ⇒kenjirosakiya.com
モーリス・ラヴェル
イーゴリ・ストラヴィンスキー
スティーヴィー・ワンダー
ダニー・ハサウェイ
クロード・モネ
古賀春江川端康成三島由紀夫
若尾文子

崎谷 健次郎(さきや けんじろう、Kenjiro Sakiya、1962年12月30日 - )は、日本シンガーソングライター音楽プロデューサーである。

1985年に作曲家としてスタートを切り、1987年に「思いがけないSITUATION」で歌手デビュー。映画音楽劇伴も手掛け、キーボード、ピアノを中心に演奏するマルチプレイヤーである。代表曲に「もう一度夜を止めて」があり、斉藤由貴夢の中へ」、中山美穂これからのI Love You」などのヒットで知られている。海外では、「涙が君を忘れない」はフィリピンで「Babalik Kang Muli[1] の名でヒット。台湾など中華圏ではインスト曲「RAGTIME ON THE RAG」も親しまれている[2]
来歴
幼少・青年期

1962年

広島県福山市に生まれる。

1965年 - 1971年

3歳のころ、米軍キャンプでジャズ修行をしていた父の影響下でピアノを弾き始める。小学生のころ、父の手解きで、クラシック、ジャズ、カントリーデューク・エリントンから服部良一など様々なジャンルのピアノ演奏を教わる。

1972年 - 1977年

10歳のころ、ラジオから流れてくる洋楽に興味をもち作曲を始める。中学生のころ、吹奏楽部に所属しながらクラシック・ピアノも始め、コピーバンドを組む。1975年、福山市立東小学校卒業、福山市立中央中学校入学。

1978年 - 1980年

広島県立松永高等学校に進学する。ラヴェルストラヴィンスキーなど近代クラシックに目覚め、テクノディスコパンクニュー・ウェイヴにも親しみつつ、オリジナル・バンド活動を行う。『福山市民憲章歌作曲コンクール』では優勝し、才覚を現わし始めた。芦田川をイメージした「流れによせる歌」(唄:芹洋子、EP キングレコード NCS-1177)は、福山市民の歌として祭典などで歌い継がれている。
バンド・VIZION 時代

1981年 - 1983年

日本大学芸術学部音楽学科に進学し、在学中に『VIZION(ビジョン)』を結成した。MTRと生演奏をシンクロさせたライブを考案したことで注目され[3]、崎谷はヴォーカル、キーボード、作曲を担当するなどリーダーとして中心的役割を果たす。バンドには、有賀啓雄松本晃彦が在籍していた。崎谷がヴォーカルを本格的に取り組む意思を固める。
サポート・キーボーディスト 時代

1983年

VIZIONの1st.アルバム『サイカティック・キューブ』がリバスターレコードよりリリースされる。VIZIONとしては本作のみの発表に止まっている。また、キーボードプレイヤーとして活躍の場を広げ始める。あんべ光俊郷ひろみSALON MUSIC山下久美子などの様々なアーティストのサポート・キーボーディストを担当する。オフコースはライヴ・リハーサルに参加していたが、音楽性の相違から早々に辞退している。また、音楽雑誌記者もしていた。
作曲家デビュー

1985年

5月、作曲家としてデビュー。最初の提供曲は稲垣潤一 「the Rule Of Love」である。提供する際のデモテープは、多重録音を施したほぼ完全パッケージに仕上げていた。その後、橋真梨子永井龍雲などのメジャーレコード・シンガーへの楽曲提供が続く。

1986年

彩恵津子斉藤由貴中村あゆみなど多くのシンガーやアイドルへの楽曲を提供している。また同時期、シンガーとしてのデビューが決定する。
シンガーソングライター・SEE-SAW / PONY CANYON 時代

1987年

3月にシングル「思いがけないSITUATION」(映画『いとしのエリー』主題歌)でポニーキャニオンよりソロデビュー。6月、デビューアルバム『DIFFERENCE』を発表した。当初、崎谷が収録を予定していた「もう一度夜を止めて」がシチズン「LIGHT HOUSE」TVCFイメージソングへのタイアップが決定し、10月にシングルとして発売した。その結果、次のアルバムのコンセプトに合わせるため、崎谷自身がシングルとは異なる編曲でrequestとして収録することとなった。

1988年

3月、2nd.アルバム『Realism』をリリースし、オリコンチャートで12位を記録した。4月、中村由真にシングル「千年の涙」を提供。6月、渡米し、ニューヨークハウスミュージックに出会う。当時の雑誌やラジオで「新しい時代のロックのようなもの」と語られたハウスミュージックの影響は、7月に英語詞の12インチシングル「THIS TIME」、10月にシングル「風を抱きしめて」の直後のリリースに表現されている。

1989年

4月、アメリカで学んだハウスミュージックを取り入れた自他への作品群を同時発表する。プロデュースした斉藤由貴のシングル「夢の中へ」は井上陽水の1973年作品のカバーで、オリコンチャート2位、売上枚数40万枚を記録した。斉藤由貴のアルバム『age』では全曲の作曲・編曲・演奏・コーラスのサウンドおよびヴィジュアルプロデュースをした[4]。前掲のシングル曲を含まないアルバムながら、オリコンチャートでは4位を記録している。崎谷自身もシングル「I Wanna Dance」をリリース。シングル曲を含めたアルバム『KISS OF LIFE』でも、ハウスミュージックやクラブサウンドを取り込んでいる。11月にリリースしたシングル「Because Of Love」は直接的にこの流れを汲まないオーケストラによるクラシック調のバラードで、オービックのTVCFソングとして数年間オンエアされた。

1990年

3月にシングル「さよならも言わずに」、4月にアルバム『ただ一度だけの永遠』」をリリース。前作とは打って変わって生楽器をフィーチャーし、イギリスのロイヤルフィルハーモニックオーケストラと共演する。公式ファンクラブ『Crescent』の活動が本格化する。10月には両A面シングル「きみのために僕がいる」/「夜のない一日」を発表した。結婚をテーマにした前者はM&F住販のTVCFイメージソングとなり、後者は山田洋行ライトヴィジョン制作映画『マドンナのごとく』の主題歌となった。また、プライベート・スタジオを「文子」と命名する。これは、崎谷が「美しい」と敬愛する映画女優・若尾文子に由来する。

1991年

2月、中山美穂に提供したシングル「これからのI Love You」はオリコンチャート3位を記録した。3月、苗場プリンスホテルで開催された稲垣潤一コンサートに参加。また、シングル「孤独の標的」をリリースし、カップリングの「25:00の嵐」は東映Vシネマ『ブラックプリンセス2 炎の標的』の主題歌となった。4月にシングル曲のリミックスを収録したアルバムは、「両価感情」をテーマ・タイトルにした『ambivalence』を発表した。また、デビュー以前から親交があった音楽プロデューサー武部聡志を介して知り合ったKATSUMI、楠瀬とは、コーラスユニット"adam"を結成。


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