崎戸町旗崎戸町章
崎戸町旗崎戸町章
廃止日2005年4月1日
廃止理由新設合併
西彼町、大瀬戸町、西海町、大島町、崎戸町 → 西海市
現在の自治体西海市
廃止時点のデータ
国 日本
地方九州地方
都道府県長崎県
郡西彼杵郡
市町村コード42313-1
面積14.12 km2
総人口2,099人
(推計人口、2004年10月1日)
隣接自治体大島町(橋でつながっている)
町の花サザンカ
崎戸町役場
所在地〒857-3192
長崎県西彼杵郡崎戸町蠣浦郷1646-7
外部リンク崎戸町
崎戸町(さきとちょう)は、かつて長崎県にあった町。西彼杵郡に属した。
2005年(平成17年)4月1日に西彼杵郡西彼町、大瀬戸町、西海町、大島町と対等合併し市制施行、西海市となり消滅した。 長崎県の西彼杵半島北西沖の離島である蛎浦島と西隣の崎戸島、さらに五島列島の中通島との間にある江島、平島と周辺島嶼部を行政区域とした。町役場は蛎浦島に立地していた。 現在はいずれも西海市の一部となっている。 旧来の崎戸町域は郷を、江島・平島は大字を行政区域とする。 元々は捕鯨を中心としたひっそりとした漁村であったが、1880年代の終わりに本郷芋島付近で漁夫によって炭塊(石炭)が発見されたことをきっかけに、炭鉱産業の村へと様変わりしていった。石炭が「黒いダイヤ」と呼ばれた採掘の最盛期には、人口は2万5000人余りまで増加し、映画館から病院、商店街が広がる町は活況を呈した。なお最盛期には年間100万トンを出炭していた。 2003年、炭鉱労働者のアパートの廃墟群が映画『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌』の撮影で使われたことなどをきっかけとして、島の懐古的雰囲気が静かなブームとなる。 2004年、炭鉱記念公園に井上光晴の文学碑が建立される。
地理
地名
蠣浦郷(かきのうら)
本郷
平島 ※郷は無し
江島 ※郷は無し
歴史
年表
江戸時代までは大村氏の領地であった。
1874年(明治7年)4月 - 学制に基づき、蠣浦小学校と崎戸小学校の2校を創立。
1885年(明治18年)7月 - 区制を改定し、黒瀬村と崎戸村を統合し、戸長役所を黒瀬村に設置。
1907年(明治40年)11月 - 資本金500万円で九州炭坑汽船株式会社
1930年(昭和5年)4月1日 - 昭和小学校を創立。
1931年(昭和6年)10月1日 - 鉱業の発展にともない、人口が急増し町制を施行し、「崎戸町」となる。当時の人口は17,639人。
1940年(昭和15年) - 九州炭坑汽船が三菱鉱業に合併。
1947年(昭和22年)4月1日 - 崎戸中学校を創立。
1954年(昭和29年)4月1日 - 浅浦小学校を創立(昭和小学校から分離独立)。
1956年(昭和31年)9月1日 - 町村合併法により江島村、平島村を編入。人口25,195人。
1961年(昭和36年)- 中戸大橋の完成により、大島と蛎浦島がつながる。
1967年(昭和42年)- 崎戸橋の完成により、崎戸港(蛎浦島)の入り江が結ばれる。
1968年(昭和43年)
3月17日 - 崎戸炭鉱が閉山。人口が急減する。
4月1日 - 児童数急減により、町内の小学校4校(蠣浦・崎戸・昭和・浅浦)を統合し、崎戸町立崎戸小学校とする。
1971年(昭和46年)- 本郷橋の完成により、崎戸島と蛎浦島がつながる。
1999年(平成11年)11月11日 - 大島大橋の開通により、本土(西海町中浦北郷)と大島町経由でつながる。
行政区域の変遷
1868年(明治元年) - 長崎府の管轄に属する。
1869年(明治2年)- 長崎県の管轄に属する(長崎府が長崎県に改称)。
1871年(明治4年)- 廃藩置県により大村県に属し、間もなく大村県は長崎県に統合される。