知恩院
本堂(御影堂、国宝)
所在地京都府京都市東山区 新橋通 大和大路 東入三丁目 林下町
地理院地図 Googleマップ 知恩院 遠景(左三門、右本堂、後方比叡山)
知恩院(ちおんいん)は、京都府京都市東山区にある浄土宗総本山の寺院。山号は華頂山(かちょうざん)。詳名は華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざん ちおんきょういん おおたにでら)。本尊は法然上人像(本堂)および阿弥陀如来(阿弥陀堂)、開基(創立者)は法然である。
浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院で、現在のような大規模な伽藍が建立されたのは、江戸時代以降である。徳川将軍家から庶民まで広く信仰を集め、今も京都の人々からは親しみを込めて「ちよいんさん」「ちおいんさん」と呼ばれている。
なお他流で門跡に当たる当主住職を、知恩院では浄土門主(もんす)と呼ぶ。
目次
1 歴史
2 伽藍
2.1 三門
2.2 本堂(御影堂)
2.2.1 御影堂大修理
2.3 重要文化財の建物
2.4 その他
3 文化財
3.1 国宝
3.2 重要文化財
3.2.1 建造物
3.2.2 美術工芸品
3.3 京都市指定文化財
4 主な行事
5 知恩院の七不思議
6 拝観
7 門主・執事長
8 歴代宮門主
9 歴代住持(門主)
10 幕末の領地
11 所在地/交通アクセス
11.1 住所
11.2 アクセス
12 脚注
12.1 注釈
12.2 出典
13 参考文献
14 関連項目
15 外部リンク
歴史付近に営んだ草庵をその起源とする。法然は平安時代末期の長承2年(1133年)、美作国(岡山県)に生まれた。13歳で比叡山に上り、15歳で僧・源光のもとで得度(出家)する。18歳で比叡山でも奥深い山中にある西塔黒谷の叡空に師事し、源光と叡空の名前の1字ずつを取って法然房源空と改名した。法然は唐時代の高僧・善導の著作『観経疏』を読んで「専修念仏」の思想に開眼し、浄土宗の開宗を決意して比叡山を下りた。承安5年(1175年)、43歳の時であった。「専修念仏」とは、いかなる者も、一心に弥陀(阿弥陀如来)の名を唱え続ければ極楽往生できるとする思想である。この思想は旧仏教側から激しく糾弾され、攻撃の的となった。法然は建永2年(1207年)には讃岐国(香川県)に流罪となり、4年後の建暦元年(1211年)には許されて都に戻るが、翌年の1月、80歳で没した。
法然の住房は現在の知恩院勢至堂付近にあり、当時の地名を取って「吉水御坊」「大谷禅坊」などと称されていた。ここでの法然の布教活動は、流罪となった晩年の数年間を除き、浄土宗を開宗する43歳から生涯を閉じた80歳までの長きにわたり、浄土宗の中心地となった。