崇教真光
[Wikipedia|▼Menu]

崇教眞光(すうきょうまひかり)は、岐阜県高山市に本部を置く新宗教。指導者(三代教え主)は、岡田光央

「眞光の業」と呼ばれる手かざしで魂を浄めることで人生の目的「健」「和」「富」の三つを揃えることが可能であるとする[1]。また、今まで秘められていた神の計画を明らかにする使命があり、今後地球規模の大変動が起こるとしている[1]

環境問題に対する取り組みも盛んで、岐阜県高山市清見町森茂に小水力発電所を建設。アフリカの植林活動にも長期に渡り取り組んでいる[2]

教団名称にもある『崇教』(すうきょう)とは、五大宗教の大元を説く教えとのことで[1]、各宗教界からの入信も多数ある[2]
基本理念

初代教え主・岡田光玉の説いた「地球は元一つ、世界は元一つ、人類は元一つ、万教の元又一つ」を理念に掲げ、世界の対立と混乱を解消することを目標に、主義主張、宗教、人種、国境などの垣根を超えた新たなる原理の確立が必要と説く[3]

その為、「絶対相反するもの」が調和し十字に結ぶことが重要とし、国家・民族・宗教・労働等あらゆる場面において対立しない無対立・無争の実践を求めている[3]

この基本理念の実現のため、下記組織が存在するとされている[3]

「眞光青年隊」 - 家庭・職場・社会の光的人材の育成

「陽光文明国際会議」 - 相反する性質のものを愛和していこうとする場を設定し、世界有識者に人類未来を創造するための討議してもらうための会議

「陽光農園」 - 「眞光の業」で大地を浄めつつ無農薬・有機農法を世界各地で実践

教義
眞光の業

釈迦キリストが行った奇跡の業と同様の行為であるが、3日間の初級の研修でだれでも可能であるとされている。これが眞光の救済のシステムで、非常にシンプルなものである[4]。そのため、若者をひきつけた。

宗教学者の島田裕巳は、眞光の業と霊動の関係は、野口晴哉野口整体における「愉気」と「活元」を宗教的・霊的に解釈したものであると述べている[4]
神の計画

地球規模の大変動を各宗教は終末論として教えてきたとする。地震、噴火、災害、感染症などが火の洗礼で、その規模を小さくできるかまたは戦争を招くかは人類の浄まり次第とされる。岡田光玉および崇教眞光の使命はこの火の洗礼を乗り越えられる種人を造り、政治、宗教、教育、医学、科学、芸術などを正しく地上天国文明造りに導くこととされる[5]。「火の洗礼」の予言は、オイルショック以降の世界の終末を恐れる若者たちを教団に惹きつけた。真光はめずらしく若者の参加の多い新宗教として一時期注目されていた[6]
歴史

1901年(明治34年)2月27日に生まれた岡田良一は、父の跡を継いで軍人となる。昭和天皇供奉将校時代に脊椎を損傷し、40歳の時に胸椎カリエスを発症。余命三年の宣告を受けたが、奇跡的に回復。残りの人生を神と人に捧げることを決意。その後莫大な借金を負うが、昭和34年に完済する[7]

1959年(昭和34年)2月27日、「起て、光玉と名のれ、手をかざせ、厳しき世となるべし」という立教に関する神からの啓示を享け58歳で立教[7]

立教10年で岡田の教えはヨーロッパ各国、アフリカに拡大。立教13年で岡田は欧州を巡行、ローマ教皇に謁見。教えは更に北米南米豪州アジアに拡大。翌1974年(昭和49年)6月13日、重大神示を受けた岡田光玉は熱海・陽霊元み魂座にて継承の義を執り行い岡田恵珠に「ヨのみ霊」を授与。10日後の6月23日岡田光玉が帰天。継承時に岡田光玉より示された重大神示に基づき岡田恵珠は歩みを進めた[8]

1984年(昭和59年)10月 - 世界総本山奥宮建立(位山)

11月 - 世界総本山建立(高山)


1999年(平成11年)4月 - 光記念館開館(現光ミュージアム)

2002年(平成14年)10月 - 眞光青年会館開館、二代教え主代理・岡田晃弥就任

この間にも、陽光文明国際会議を日本・海外で開催し様々なテーマの下各界有識者を意見を交えた。

2009年(平成21年)、立教50周年大祭(11月)において岡田晃弥改め光央が光統奉告式を経て三代教え主に就任。L・H陽光子乃友100万人達成を宣言。翌年眞光青年隊全国統一結成40周年記念光閲式を開催。

2013年(平成25年)、ブラジルサンパウロ州およびサンパウロ市において2月27日を「崇教眞光の日」と制定され4年後にはブラジル各州・市に制定が広がった。

2014年(平成26年)、アフリカ大陸での植林活動が認められ、コートジボワールで「最優秀植林賞」を受賞。

2016年(平成28年)、二代教え主岡田恵珠が死去。

2018年(平成30年)、新日本宗教団体連合会(新宗連)の第8代理事長に就任[9]

2019年(令和元年)、日本宗教連盟理事長にも同時就任[10]。ローマ教皇訪日にあたり日本宗教連盟および新宗教団体連合会理事長として三代教え主・岡田光央が日本宗教界を代表し立正佼成会、妙智会代表らとローマ教皇に謁見[11]。同年立教60周年大祭を迎える。

教団は、国内に約1000ヵ所 海外に約300ヵ所の拠点があるとしている[7]

飛騨高山に高さ50メートルの主座黄金神殿が建立された。屋根は丹銅板で黄金に輝き、映画「丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる」のロケに使われた[12]
年表

1959年(昭和34年)立教に関する御神示が岡田光玉に天降る(L・H陽光子友乃会発足)

1964年(昭和39年)眞光青年隊結成

1972年(昭和47年)熱海・陽霊元み魂座竣工

1973年(昭和48年)岡田光玉が欧州を巡光する

1974年(昭和49年)岡田恵珠が二代教え主を継承(10日後に岡田光玉が帰天)

1978年(昭和53年)後継者問題を経て崇教真光を設立。

1984年(昭和59年)「世界総本山奥宮」建立、「世界総本山建立特別大祭」

1986年(昭和61年) 岡田恵珠が中南米を巡光する。10月30日 - 11月1日

1992年(平成4年) 「光神殿」が完成する。

1993年(平成5年) 岡田恵珠がヨーロッパ・アフリカ方面を巡光する。

1999年(平成11年)光ミュージアム(記念館)を開館する。

2000年(平成12年)岡田恵珠がオーストラリア・オセアニア方面を巡光する。

2002年(平成14年)「眞光青年会館」を開館。

2004年(平成16年)岡田恵珠と後継者の光央がアジア方面を巡光、光央がヨーロッパ方面を巡光する。

2005年(平成17年)岡田光央がアフリカ方面を巡光。

2006年(平成18年)岡田光央が北米方面を巡光。

2008年(平成20年)岡田光央が中南米方面を巡光。

2009年(平成21年)「立教50周年秋季大祭」、岡田光央が岡田恵珠より三代教え主を継承。

2014年(平成26年)第2小水力発電所竣工

2019年(令和元年)第1小水力発電所竣工、「立教60周年秋季大祭」、ローマ教皇訪日にあたり日本宗教連盟および新宗教団体連合会理事長として三代教え主・岡田光央が日本宗教界を代表し立正佼成会妙智会代表らとローマ教皇に謁見[11]

2020年(令和2年)「世界総本山第二神殿特別竣工大祭」、第二神殿を「愛和館」と銘名。崇教真光の真が眞に統一。[要出典]

入信

3日間にわたる初級眞光研修会(1万5千円[要出典])で基礎教義説明があり、内容は宗教、科学、経済等、多岐にわたる[1]。3日目に「御み霊」を拝受することで組み手となる(=入信)。

崇教という理念のもと、従来の宗教信仰を辞める必要はなく、10歳以上であれば基本的に申し込みが可能。

信仰を辞める場合、最寄りの拠点・道場幹部に申しでて所定の手続きを経て退会となる。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:55 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef