中華人民共和国 広西自治区 崇左市
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広西チワン族自治区中の崇左市の位置広西チワン族自治区中の崇左市の位置
中心座標 .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯22度25分 東経107度22分 / 北緯22.417度 東経107.367度 / 22.417; 107.367
崇左市(すうさし)は中華人民共和国の広西チワン族自治区に位置する地級市。 崇左市の歴史は古く、数千年前の頃から、チワン族の祖先駱越人と西甌人はすでにこの地区で生活していた。秦代は象郡の管轄とされた。漢代はの鬱林郡の管轄とされ、318年に東晋が鬱林郡から晋興郡を分置し、晋興県を置いた。三国時代は晋興郡の晋城県の管轄とされ、唐代まで沿襲された。唐代の末年には嶺南西道管轄の羈縻州である太平州、宋初には広南西路?州左江道羈縻州である太平州の管轄とされた。 976 - 983年(宋代の太平興国年間)、崇左地区には太宗により太平寨、永平寨、古万寨の3寨が設置された。1053年に崇善県が設置され、太平寨を管轄下に置いた。元代になると広西行中書省太平路(1292年には太平寨が太平路に改編)の太平土州、明代は広西布政使司
歴史
1928年(民国17年)、土江州と羅白県が統合され、崇善県に編入。1930年(民国19年)、崇左地区には第七行政監督区の管轄とされた。
中華人民共和国が成立すると、1951年に崇善県と左県が合併し、崇左県を新設、崇左の名が起った。1951年10月19日、竜州専区が崇左専区に改称、 崇左県、扶綏県、鎮南県、思楽県、麗江県、大新県、鎮都県、隆安県、上思県の9県を管轄下に置いた。2002年12月23日に崇左市の設立。 広西チワン族自治区の南西部に位置し、南寧市、百色市、防城港市、ベトナムに接する。 市域内は山がちで、西部には大青山、南部には公母山や十万大山といった山脈が走る。その間に、ベトナム領内から流れる大河である左江が東へ流れる。左江は南寧市で右江と合流して鬱江となり、西江(せいこう)に合流し、珠江デルタで南シナ海に出る。 年間平均気温は23℃前後、年間降水量は約1150mm前後。夏場は市内の中では特に気温が上がり、猛暑日になる日も珍しくない。 崇左 (1991?2015)の気候
地理
気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
平均最高気温 °C (°F)18.4
(65.1)20.0
(68)23.3
(73.9)29
(84)32.4
(90.3)33.5
(92.3)33.8
(92.8)33.6
(92.5)32.5
(90.5)29.9
(85.8)25.8
(78.4)21
(70)27.77
(81.97)
日平均気温 °C (°F)14.1
(57.4)16.3
(61.3)19.2
(66.6)24.2
(75.6)27.3
(81.1)28.7
(83.7)28.9
(84)28.5
(83.3)27.4
(81.3)24.6
(76.3)20.4
(68.7)15.9
(60.6)22.96
(73.33)
平均最低気温 °C (°F)11.1
(52)13.3
(55.9)16.4
(61.5)20.8
(69.4)23.7
(74.7)25.4
(77.7)25.6
(78.1)25.2
(77.4)23.9
(75)20.9
(69.6)16.6
(61.9)12.5
(54.5)19.62
(67.31)
降水量 mm (inch)34.6
(1.362)27.5
(1.083)48.7
(1.917)79.5
(3.13)138.3
(5.445)178.4
(7.024)205.8
(8.102)197.1
(7.76)110.6
(4.354)62.8
(2.472)42.6
(1.677)27.4
(1.079)1,153.3
(45.405)
出典:China Meteorological Administration[1]