島精機製作所
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株式会社島精機製作所
SHIMA SEIKI MFG., LTD.
[1]種類株式会社
市場情報東証プライム 6222大証1部(廃止) 6222
2013年7月12日上場廃止
略称島精機、シマセイキ
本社所在地 日本
641-8511
和歌山県和歌山市坂田85番地[1]
設立1961年(昭和36年)7月[1]
業種機械
法人番号2170001001508
事業内容ニット機械の製造販売など
代表者代表取締役会長 島正博
代表取締役社長執行役員 島三博[1]
資本金148億59百万円[1]
発行済株式総数3580万株
(2021年3月末現在)
売上高連結:244億89百万円
単独:183億40百万円
(2021年3月期)
営業利益連結:△91億43百万円
(2021年3月期)
純利益連結:△178億66百万円
(2021年3月期)
純資産連結:900億36百万円
(2021年3月期)
総資産連結:1101億40百万円
(2021年3月期)
従業員数連結:1,919人
単独:1,433人
(2021年3月末現在)
決算期3月31日
主要株主和島興産 11.01%
日本トラスティ・サービス信託銀行(信託口) 4.57%
紀陽銀行 4.03%
MSCO CUSTOMER SECURITIES 4.02%
日本マスタートラスト信託銀行(信託口) 2.96%
(2018年9月30日現在[2]
外部リンク公式ウェブサイト
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株式会社島精機製作所(しませいきせいさくしょ、: SHIMA SEIKI MFG., LTD.)は、和歌山県和歌山市ニット機械製造・販売メーカー。

公式サイトでは「総合メカトロニクス企業」を謳う。創業者は島正博みどり会の会員企業であり三和グループに属している[3]
歴史・概要
創業から全自動手袋編機の量産まで

1961年(昭和36年)7月に島正博が知人らとともにゴム入り安全手袋(軍手)の半自動編機製造会社として[4]三伸精機株式会社を設立したのが始まりである[1]

三伸精機株式会社の設立時の出資者の多くがこの半自動編機の量産と量販を重点とした事業展開を求めていたため[4]、全自動手袋編機の開発を目指した島正博[5]1962年(昭和37年)2月に本社及び本社工場を移転して商号を島精機株式会社に変更し[1]、翌月3月には現商号である株式会社島精機製作所に変更して新たなスタートを切った[1]

1963年(昭和38年)に指先まで丸く編んで手袋全体を縫い目ゼロで製造する全自動手袋編機の原型の開発に成功して発明協会和歌山県支部特賞し、翌年の1964年(昭和39年)には発明協会近畿地方特賞を受賞するなどこの技術は早くから高い評価を得ていた[4]

この技術を一段と深化させて1964年(昭和39年)12月31日の大みそかに量産型の全自動手袋編機を完成させ[6]1965年(昭和40年)に指先を角形に編んで後で人手による加工作業でかがり縫いする簡易型を商品化して発売し[4]、今日に繋がる全自動編機事業を本格的に開始した。

この全自動手袋編機は高度経済成長に伴う作業手袋(軍手)の需要急増と相俟って1970年代にかけて出荷台数15,000台を超える大ヒット商品となり、初期の経営基盤を支えることになったが、発売初期では生産量を優先したため故障が多く、修理やメンテナンスなどのアフターサービスの負担が重荷となった[4]

そのため、問題解決と製品改良を目指して情報の顧客との共有や部品や製造工程の標準化を推進し、販売後のメンテナンスの費用の節減と顧客の安定操業を目指すことになった[4]
衿編機や横編機

全自動手袋編機の量産・量販による事業基盤の確立と平行して、その技術を背景に1966年(昭和41年)に全自動タイツ編機のプロトタイプを開発し、1967年(昭和42年)に発明協会近畿地方発明賞を受賞して改めてその技術力が評価されるなど、製品の分野の拡大を目指した技術開発も続けられた[4]

1967年(昭和42年)に全自動衿編機のプロトタイプを開発し、その後テーラーカラー編みを可能にしたタイプや他社の競合製品と比較して約3倍の生産性向上を実現したタイプなど1968年(昭和43年)までの間に3機種を開発して、全自動衿編機の製造に乗り出して事業領域を拡大した[4]

1968年(昭和43年)11月には全自動横編機のプロトタイプを完成させて、1969年(昭和44年)春には他社の競合製品と比較して約5倍の生産性向上を実現した反物の生地生産に特化した全自動横編機の量産型の製造を開始して、今日の主力製品の基盤を築いた[4]
編み方の多様化

1970年(昭和45年)9月にジャカード方式の全自動横編機を開発し、より複雑で洗練された柄を要するファッション業界の需要に対応するため1971年(昭和46年)6月に万能特殊柄編機を発売するなど編み方の技術的な幅を広げ、1972年(昭和47年)には基本となる中山ラーベン編みや蝶山ラーベン編みなどを簡単に製造できるだけでなく成形編みなどにも対応した新機種を発売し、1977年(昭和52年)にジャック選別や目移し機能も搭載した新型の全自動セミジャカード成型横編機を開発して発売するなどファッション業界の多様な要求に応える編み方の多様化に取り組み、二段ラーベン横編機の代表的な存在に成長させた[4]

こうした技術を活かして1975年(昭和50年)8月にジャカード方式の多様な柄組みに対応するファッション性重視の製品に適した全自動ジャカードシームレス手袋編機を開発し、同年秋のドイツ・ライプツィヒ繊維機械展示会でゴールドメダル賞を受賞すると共に、その直後のイタリアのミラノのITMA展などで世界の横編機業界からジャカード編み技術とシームレス全自動編機の融合として脚光を浴び、単なる作業手袋の量産技術からファッション手袋の量産という新たな領域にも進出した[4]

続いて、1979年(昭和54年)に羽毛が多く細い毛糸をループ状に編むパイル編みの技術にも取組み、糸から手袋までシンカーニット方式でシームレスなパイル編みを全自動で行う全自動シンカーパイル手袋編機を開発し、ジャガード編みとパイル編みという異なる編み方による多様なファッション手袋の量産を可能にして技術力による新市場の開拓を進めた[4]
周辺機器の開発や電子化への取組み

1975年(昭和50年)に完成した手袋の検品や最終仕上げ工程を機械化する自動手袋仕上げ機を開発して製造・販売を開始し、1978年(昭和53年)8月により小型でワンタッチで仕上げと検品の同時実行するなど操作性を向上させると共に生産量がそれ程大きくない場合に対応した新型の自動手袋仕上げ機を開発して製造・販売を開始し、翌年1979年(昭和54年)に300台を超えるヒット商品に成長させるなど手袋生産全体の自動化を進める周辺機器の開発・製造も進められた[4]

1977年(昭和52年)に電子制御を導入したにジャカード方式の全自動横編機を開発し、翌年1978年(昭和53年)3月に従来は職人の経験と暗黙知の蓄積による高い熟練度を要していた編み方の調整作業を電子制御化したシマトロニック・ジャカード・コンピュータ制御横編機を開発して、電子制御による作業工程の簡潔化で生産性を大幅に向上させた[4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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