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島田紳助がオールスターの皆様に芸能界の厳しさ教えますスペシャル!(しまだしんすけがオールスターのみなさまにげいのうかいのきびしさおしえますスペシャル)は、読売テレビの制作で日本テレビ系列で1995年から2008年まで春と秋の年2回放送されていたバラエティ特番である。視聴者アンケート対決(好きな芸能人、嫌いな芸能人など)などがある。 1995年3月に『EXテレビ』の人気企画「クイズここまで出てるのに」をゴールデンタイムに進出した特別番組「超ド忘れイライラクイズ」として島田紳助(以下、紳助と表記)と、当時読売テレビの月曜夜10時枠の番組の司会を勤めた関口宏が担当した。以後、関口から細川直美に変わり、1996年まで春・秋の年2回放送された。1997年3月に、「クイズここまで出てるのに」以外のEXテレビ発コーナーを持ち込んだ現番組の原型「春の超クイズ宣言!」(「クイズここまで出てるのに」はなかった)となり、1998年と1999年は春改編は「超ド忘れイライラクイズ」、秋改編は「オールスターの皆様に芸能界の厳しさ教えます!SP」として放送され、2000年から再び年2回の放送になった。 2004年秋 - 2005年秋では完全に「芸能界・恋のキューピッドあなたの思い届けまショー」のみの内容となったが、上記企画が2006年4月より『芸恋リアル』としてレギュラー番組化されるのに伴い、2006年春の特番からは再び「オールスターの皆様に芸能界の厳しさ教えます!SP」として放送されている。なお、提供バックで使用されている音楽はKinKi Kidsの「HONEY RIDER」(5thアルバム『E album』に収録)のイントロ部分である。 本番組は、基本的に読売テレビ制作枠があった月曜日[注釈 1][注釈 2]に放送されることが多かった。 2008年3月の第27回放送を最後に事実上放送を終了し、14年の歴史に幕を降ろした。司会の島田紳助は後の2011年8月に芸能界を引退した。
概要
ルール
最初に「中継クイズ・私はだあ?れ?」を行い、名前を当ててもらったパネラーは有名芸能人として解答席に着くことができるが、当ててもらえなかったパネラーは「無名芸能人」として、無名地獄と称された、さらし首・中腰体勢で着かないといけない席へ移動する(以前は檻の中に入れられるルールだった)。解答席は4?5席用意されており、6人以上が有名芸能人となった場合は、2人以上でチームを組む形で1席とする。
第27回では名前が出なかった人は無名牢獄という前述のような牢獄へ入れられた。無名地獄のようにさらし首などではないが、あわせて100%においてドボンになってしまった場合、罰として炭酸ガスが噴射された。
クイズの得点は、有名芸能人はそのまま得点が加減(チームは各自にそれぞれ加減)されるが、無名地獄は、加点される場合は無名芸能人全員で頭割りして加算され、減点される場合は有名芸能人同様そのまま減点されるため、いくぶん不公平・不利になっている。不公平な扱いを受ける理由は、紳助曰く「無名だから」。
一時期、無名地獄に入ったパネラーは、セット裏で自分の名前を宣伝するパズルを組み立てる罰ゲームもあった。しっかり読める状態になれば中継クイズを免除される。
1コーナーが終わったら、無名芸能人を対象に再度中継クイズを行って、有名芸能人に昇格できるパネラーを決める。途中のクイズからは、中継クイズを行うことなく全員が通常の解答席で参加する。第26回で、無名芸能人は減点された上で参加するということになった(初期は、あくまで中継クイズで名前を呼ばれないと参加できないというルールの上で、最後の回は、数百人の観客の誰が答えてもいいなど必ず全員答えてもらえるようになっていた)。
最後に全員、獲得した点数×500円が賞金・罰金として獲得・没収される。
主なコーナー
中継クイズ・私はだあ?れ?
大型テレビを設置したトラックを住宅地などへ走らせ、スタジオと中継。中継現場にいる一般人の中から一人選んで、1人ずつテレビのモニターに映し出される出演パネラーの名前を、その一般人に当ててもらう。オープニングに行われる1回目では制限時間は10秒、コーナーが終わるごとに実施される脱出チャンス(2回目以降)は制限時間12秒。時間内に当ててもらえなかったパネラーは「無名芸能人」のレッテルを張られ、上述のように無名地獄に入れられる。
番組中に数回行われ、一回目はあまりテレビを見ない環境の下へ向かい解答者を年配者に選ぶ事が多い(例・修行僧のいる山奥の寺、横田基地、JR東日本山田線の秘境駅など)。そのため一回目はかなり有名な出演者でも名前を当ててもらえない事が多く、全出演者の半分以上が無名地獄に入れられる事が多い。二回目以降は比較的庶民的な場所に移動して若い解答者が選ばれる事が多いため無名地獄からの復活のチャンスが高まる。場合によってはコーナーの結果状況で3回目以降を実施しないこともある。
1998年秋では寺門ジモンが中継クイズに3回挑戦したものの、2回目は寺門だけ答えて貰えなくて、3回目も沢山の庶民が参加していたが制限時間に答えられず、-100ポイントで参加出来る様に行い、エンディングのテロップに寺門ジモンと大きく出て覚えて貰う様に発言した。