島田直也
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島田 直也常総学院高等学校硬式野球部 監督
2017年11月23日 横浜スタジアムにて
基本情報
国籍 日本
出身地千葉県柏市
生年月日 (1970-03-17) 1970年3月17日(54歳)
身長
体重175 cm
78 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1987年 ドラフト外
初出場1989年10月8日
最終出場2003年8月23日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


常総学院高等学校

日本ハムファイターズ (1988 - 1991)

横浜大洋ホエールズ
横浜ベイスターズ
(1992 - 2000)

ヤクルトスワローズ (2001 - 2002)

大阪近鉄バファローズ (2003)

監督・コーチ歴


信濃グランセローズ (2007 - 2010)

徳島インディゴソックス (2011 - 2014)

横浜DeNAベイスターズ (2015 - 2017)

常総学院高等学校

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島田 直也(しまだ なおや、1970年3月17日 - )は、千葉県柏市[1]出身の元プロ野球選手投手)、野球指導者。常総学院高等学校職員。

常総学院高等学校硬式野球部の出身。2003年に現役を引退してからは、(独立リーグを含む)日本のプロ野球3球団でのコーチや監督などを経て、2020年7月26日から同部の監督を務めている。
来歴
現役時代

小学1年から野球を始め柏市立富勢中学時代はエースピッチャーであった[1]常総学院高時代は捕手、内野手、外野手と様々なポジションを経験した後に再び投手となる[1]1987年の甲子園に連続出場を果たし、春は常総学院初の甲子園出場も1回戦敗退、夏は決勝でPL学園高に敗れて準優勝投手となる[1]。なお、この決勝戦で投げ合った、PL学園の野村弘とは後に横浜大洋ホエールズでチームメートとなっている。

1987年オフに、ドラフト外日本ハムファイターズに入団[1]。同期の芝草宇宙と共にSSコンビとして売り出される。

1989年10月8日に対近鉄バファローズ戦で一軍初登板を果たした。

1991年二軍イースタン・リーグ)で0勝10敗の成績に終わり、シーズン終了後に石川賢とのトレードで横浜大洋ホエールズへに移籍[1]

1992年8月23日の対中日ドラゴンズ戦で初勝利を記録。

1993年にはプロ初完封を記録した。

1994年には中継ぎ投手として飛躍し、シーズンでは50試合に登板して9勝(チーム最多勝タイ)を挙げた。

1995年も2年連続チーム最多かつ自己最多の10勝(初の2桁勝利)を記録した。なお、リリーフ投手で同じ選手が2年続けてチーム最多勝になることは稀である(1994年の先発投手最多勝は斎藤隆の9勝12敗、1995年の先発投手最多は斎藤隆が8勝9敗、三浦大輔が8勝8敗)。ちなみに、チームが1994年5月13日の対読売ジャイアンツ戦(横浜スタジアム)で達成した日本プロ野球公式戦タイ記録(当時)の9打席連続安打は、打席に立った島田の内野安打からスタート。打者一巡を経て2回目の打席に向かったものの、故障を回避すべくホームベースから遠く構えた末に、振り遅れの三振をあえて喫している。

1996年はチーム全体で風疹が流行して先発投手が不足する事態に陥ったため、久々に先発として起用されたが、シーズンでは不振に苦しんだ。

1997年は前年のセットアッパーの五十嵐英樹が怪我で開幕に間に合わず、代わりにセットアッパーとして起用され、自身初タイトルとなる最優秀中継ぎ投手を受賞。


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