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島田 満(しまだ みちる、1959年5月19日 - 2017年12月15日)は、日本の脚本家。女性。日本脚本家連盟理事。
テレビアニメを執筆の中心にし、1980年代前半のデビューから、2000年代まで30年以上第一線で活躍したベテラン。代表作はテレビアニメ『ロミオの青い空』など。一時期“しまだみちる”名義で活動していた時期があった。
略歴の実写の自主製作映画に3本出演した[1]。1981年、大学3年の時に東映動画が10年ぶりに新人採用を行なうことを知り、演出家の新人研修生の試験を受験。試験にはトップの成績で合格しながらも[2]、当時の東映動画では女性を演出家として採用しない方針だったため、脚本を執筆したらどうかと勧められた。これにより七條敬三東映動画プロデューサーの下でテレビアニメ『Dr.スランプ アラレちゃん』の脚本を執筆、大学在学中の1982年2月10日放映の第42話「ジャングルの王者パーザン」でデビューを果たした[3]。
番組担当プロデューサーだった七條は、他にもこの番組で井上敏樹を脚本家デビューさせ、タツノコプロ出身の小山高生を東映動画で初めて執筆させるなど、新しい血の導入に積極的だったことが、島田にも幸いした。なおこの時の東映動画の研修生募集の合格者には、演出が、佐藤順一・有迫俊彦・梅澤淳稔・江幡宏之・大久保唯男・貝澤幸男・芝田浩樹・島田満・西尾大介。作画が、新井浩一・安藤正浩・井手武生・鈴木郁乃・中鶴勝祥・梨澤孝司・濱洲英喜といった面々である。島田と共に後の東映動画を支えていくメンバーとなっていった。
以後、『Dr.スランプ アラレちゃん』には新人ながらレギュラーとして定着して、1か月に1本のペースで執筆。その後も多くの人気作品に参加し、順調にキャリアを重ねていった。フリーの島田は東映動画以外の作品にも携わり、特に1990年代の世界名作劇場(日本アニメーション制作)には、島田の存在は欠かせないものであった。
1980年代にはアニメ業界で一種アイドル的な存在で、美人脚本家と謳われた[4]。アニメ雑誌にエッセイや小説を連載。単発の記事にもしばしば登場した。
2017年12月15日、2016年より患っていた病により死去。58歳没[5]。 結婚歴があり、娘がいる[6]。
人物
参加作品
テレビアニメ
Dr.スランプ アラレちゃん(1981年 - 1986年)脚本
うる星やつら(1981年 - 1986年)脚本
みゆき(1983年 - 1984年)脚本
魔法の天使クリィミーマミ(1983年 - 1984年)脚本
魔法の妖精ペルシャ(1984年 - 1985年)脚本
OKAWARI-BOY スターザンS(1984年)脚本
ダーティペア(1985年)脚本
ハイスクール!奇面組(1985年 - 1987年)脚本
タッチ(1985年 - 1987年)脚本
ドラゴンボール(1986年 - 1989年)脚本
めぞん一刻(1986年 - 1988年)脚本
陽あたり良好!(1987年 - 1988年)脚本
それいけ!アンパンマン(1988年)脚本
ピーターパンの冒険(1989年)脚本[7]
ミラクルジャイアンツ童夢くん(1989年 - 1990年)脚本
アイドル天使ようこそようこ(1990年 - 1991年)脚本
おちゃめなふたご クレア学院物語(1991年)脚本
新世紀GPXサイバーフォーミュラ(1991年)脚本
わたしとわたし ふたりのロッテ(1991年 - 1992年)脚本
フランダースの犬 ぼくのパトラッシュ(1992年 - 1993年)脚本
若草物語 ナンとジョー先生(1993年)全話脚本
ロミオの青い空(1995年)全話脚本
名探偵コナン(1996年 - )脚本
るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-(1996年 - 1998年)脚本
ゲゲゲの鬼太郎<第4作>(1996年 - 1998年)脚本
家なき子レミ(1996年 - 1997年)脚本
金田一少年の事件簿(1997年 - 2000年)脚本
キョロちゃん(1999年 - 2001年)脚本
ONE PIECE(1999年 - )脚本
とっとこハム太郎(2000年 - 2006年)脚本
onちゃん夢パワー大冒険!
電光超特急ヒカリアン(2002年 - 2003年)脚本
学園アリス(2004年 - 2005年)脚本
ギャラリーフェイク(2005年)脚本
雪の女王(2005年 - 2006年)脚本
フラカッパー(2006年 - )脚本