島田信廣
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島田 信廣(しまだ のぶひろ、1950年1月28日 - 2007年10月18日)は、日本の元オートレース選手長野県出身。11期、元船橋オートレース場所属。2002年10月16日の船橋オートレース場で開催されたGIオート発祥53周年船橋オート祭第10レースをもって引退した。弟子は浜松所属の仲口武志(24期、2016年3月まで船橋所属)。
選手データ

戦歴

通算優勝:141回(SG14回・GI19回・GII14回・一般戦94回)

全国区レース優勝回数:17回(SG14回・全国地区対抗戦:3回)

グレードレース(SG,GI,GII)優勝回数:47回(史上第2位)

SG優勝:14回(史上第4位)

GI優勝:19回

GII優勝:14回(片平巧とともに史上第3位タイ)

生涯獲得賞金:16億1381万8292円

年間最多優勝選手:6回

連続優勝記録:7回(史上最長)

年間最多勝利選手:2回

通算勝利数:1292勝


受賞歴

オートレース選手表彰

最優秀選手賞:6回(史上第2位、うち1回は片平巧と同時受賞)

優秀選手賞:2回


オートレース年間三賞(日刊スポーツ新聞社制定)

殊勲賞:6回(高橋貢とともに史上最多タイ、うち1990年から1994年まで5年連続受賞)

技能賞:1回

特別賞:1回



略歴

1985年

12月4日、第11回グランドチャンピオン決定戦(川口オートレース場)優勝。当時の呼名は「オールズ」。競走タイムは3.415。


1986年

12月25日、開設36周年記念オート祭(船橋オートレース場)優勝。呼名は「オールズ」。競走タイムは3.389。

小林啓二(8期、山陽オートレース場所属)と共に年間最多優勝(優勝10回、優出28回)を達成。

同年のオートレース表彰選手において、特別賞受賞。


1987年

自身初となる船橋A1(前・後期)となる。


1988年5月8日

開場32周年記念ゴールデンレース(浜松オートレース場)優勝。呼名は「ウォーズ」。競走タイムは3.461。


1989年

10月26日、開設39周年オート祭(船橋オートレース場)優勝。呼名は「ウォリアーズ」。競走タイムは3.404。

第1回全国地区対抗戦飯塚オートレース場)のA級王座決定戦で優勝。

同年のオートレース表彰選手において、最優秀選手賞・最多勝利選手賞・最多勝率選手賞を受賞。


1990年

1月30日、第4回スーパースター王座決定戦(川口オートレース場)でSG初優勝。

2月12日、第3回全日本選抜オートレース伊勢崎オートレース場)優勝。

同年のオートレース表彰選手において、最優秀選手賞・最多優勝選手賞を受賞。


1991年

1月27日、第5回スーパースター王座決定戦(伊勢崎オートレース場)で優勝。

2月14日、第4回全日本選抜オートレース(船橋オートレース場)も優勝。SG連覇は飯塚将光(9期、船橋)以来2人目の快挙であり、スーパースター王座決定戦、全日本選抜オートレースでは初。

同年のオートレース表彰選手において、最優秀選手賞・最多優勝選手賞・最多勝率選手賞を受賞。


1992年

3月4日、第6回スーパースター王座決定戦優勝。

11月5日、第24回日本選手権オートレース(船橋オートレース場)で秋田敬吾、進藤敏彦、飯塚将光片平巧に続き5人目となる完全優勝を飾る。

同年のオートレース表彰選手において、優秀選手賞を受賞。


1993年

2月1日、第7回スーパースター王座決定戦(川口オートレース場)優勝。

2月11日、第6回全日本選抜オートレース(浜松オートレース場)優勝。

同年のオートレース表彰選手において、最優秀選手賞・特別賞を受賞。


1994年

2月15日第7回全日本選抜オートレース(飯塚オートレース場)優勝。

3月9日、第8回スーパースター王座決定戦(川口オートレース場)優勝。

4月29日、第13回オールスターオートレース(船橋オートレース場) 1着入線ながら失格となった田代祐一(15期、伊勢崎オートレース場所属)に替わり繰上げで優勝。史上初となるSG4冠(グランドスラム)を達成。

10月13日、開設44周年記念オート祭(船橋オートレース場)優勝。

同年のオートレース表彰選手において、優秀選手賞・特別賞を受賞。


1995年7月28日

GI第18回黒潮杯争奪戦優勝。


1996年

2月4日、飯塚将光、小林啓二に次ぎ3人目となる通算100Vを達成。

6月10日、秋田敬吾(5期、引退)、飯塚将光(9期、引退)、広瀬登喜夫(期前、引退)、阿部光雄(6期、川口オートレース場所属)、吉田光(3期、引退)、桝崎正(7期、引退)、小林啓二、二田水潤太郎(3期、引退)に次いで9人目となる通算1000勝を突破。

11月6日SG第28回日本選手権オートレースで、史上初となる2度目の完全優勝。

12月18日、開設46周年記念GIオート祭(船橋オートレース場)優勝。

12月26日、GI第31回スピード王決定戦(山陽オートレース場)優勝。

同年のオートレース表彰選手において、後輩である片平巧(19期、船橋オートレース場所属)と共に最優秀選手賞をダブル受賞。


1997年

3月23日、SG第10回全日本選抜オートレース(船橋オートレース場)優勝。

12月10日、GI第32回スピード王決定戦(山陽オートレース場)優勝。


1999年

2月15日、SG第12回全日本選抜オートレース(浜松オートレース場)優勝。SG優勝最年長記録。

3月17日、GI第33回スピード王決定戦(山陽オートレース場)優勝。

7月8日、G1第23回キューポラ杯争奪戦(川口オートレース場)優勝。

同年のオートレース表彰選手において、最優秀選手賞受賞。


2002年

10月16日、この日の第10レースをもって引退。最終戦は2着(1着は浦田信輔)。


2007年

10月18日午前10時35分、食道癌のため千葉県成田市内の病院で死去。57歳没。


遅咲きの鉄人

島田信廣は「鉄人」と謳われ、1990年代に輝かしい戦績を残した名選手である。

かつては社会人として普通に働いていたが、1973年にオートレース選手としてデビューした。配属となった船橋オートレース場は当時、島田と同い年でありながら先にデビューを果たしていた「ミスター・オート」飯塚将光の独擅場が長らく続いていた。このスーパースターの影に隠れ、島田がトップに君臨するには長い時間を要した。しかし、主力の1級2気筒車がトライアンフからフジへ変わっていった頃、フジに乗り換えた島田は一気に全国区に登り詰めることとなる。

初めてSGを制覇したのは、1990年のスーパースター王座決定戦だった。その時既に39歳で、中堅からベテランへと移っていく年齢であった。しかしその後、島田は前人未到の同一SG5連覇を果たしたのである。飯塚将光が樹立した日本選手権オートレースV6という記録は連覇ではなく、第9、10、15、18、19、21回と間を置いての記録であり、島田が打ち立てたこの記録は未だに破られていない。他にも、全日本選抜オートレース6回、日本選手権オートレース2回、オールスターオートレースを1回優勝した。1994年に優勝したオールスターオートレースでは、1着入線の田代祐一が審議対象となって20分にも及ぶ審議の結果失格となり、繰り上がって島田が優勝した大会だったが、この優勝によって、初のSGグランドスラム(当時4SG)を達成した。

整備の鬼としても有名であったが、トライアンフ全盛期の頃は「自分の整備が疎かだった」と述懐している。また、トライアンフやメグロ二気筒の頃は意外にも雨走路を苦手としていた。ところが、1987年の第1回スーパースター王座決定戦がきっかけで島田は猛烈な成長を遂げることとなる。
当時のスーパースター王座決定戦は最終日の一発勝負だったため、王座決定戦出場選手は4日間練習走行のみを行うこととなっていた。その4日間は連日晴れで、島田はかなりの好調を誇っていた。
しかし、最終日はなんと雨。それも、試走が終わるか終わらないかというところで降り出したのだ。当時まだ雨が巧くなかった島田は、晴タイヤを着けていたこともあって惨敗。優勝したのは飯塚の桝崎正で、ただ一人雨タイヤを履いて出走していた。
この敗北に島田は「4日間一体何をやってたんだ!」と大いに嘆いた。そして、奮起した島田は同期で親友でもある釜本憲司(川口オートレース場所属)に雨での走り方を習ったのである。これがきっかけとなり、島田は晴雨関係なく強い選手へと進化を遂げたのだ。
また、多くのベテラン選手がセアの移行に際して苦しむ中、島田はいとも簡単にセアに順応した乗り方になっていた。


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