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出典検索?: "島村俊治"
しまむら としはる島村 俊治
プロフィール
出身地 日本 東京都
生年月日 (1941-06-25) 1941年6月25日(82歳)
最終学歴早稲田大学政治経済学部卒業
所属事務所ニューヴォイス嶋村プロ
職歴NHK(1964年 - 2000年)
→フリー、WOWOW契約
活動期間1964年 -
ジャンルスポーツ実況
公式サイト ⇒ニューヴォイス嶋村プロ
担当番組・活動
出演中KBCホークスナイター(KBCラジオ)ほか実況全般
出演経歴NHKのスポーツ実況全般
アナウンサー: テンプレート - カテゴリ
島村 俊治(しまむら としはる、1941年6月25日 - )は、スポーツジャーナリスト、フリーアナウンサー。
個人事務所である有限会社「ニューヴォイス嶋村プロ」所属で、代表取締役。元NHKエグゼクティブアナウンサー。 東京都出身。早稲田大学高等学院、早稲田大学政治経済学部卒業後、1964年にNHKにアナウンサーとして入局。 音楽好きであることや高校・大学時代に合唱をしていた経験もあって、NHK入局時にもアナウンサーではなくミュージカルを担当する音楽ディレクターを志望していたが、米子支局(現在は鳥取放送局のエリア)在籍時代に、高校野球秋季中国大会での岡山東商・平松政次と関西・森安敏明の投手戦の実況を務めて感動し、スポーツアナウンサーを目指すことになった。 その後は一貫してスポーツ畑を歩み、水泳、ゴルフ、陸上競技、などさまざまな競技の実況を担当。夏・冬あわせて8回務めたオリンピックでは要となる実況アナウンサーで、岩崎恭子、鈴木大地、清水宏保の金メダル実況でも知られる。金メダル決定の瞬間は絶叫だったため、一部の視聴者から批判されたこともある。1998年にNHKで放送された自己批評番組『あなたの声にこたえます
来歴・人物
金メダル実況以外には1992年のバルセロナオリンピックでは男子フルマラソンで谷口浩美が中間点過ぎの給水時に転倒し、さらにシューズが脱げて履き直すアクシデントが起きた実況も担当した。
プロ野球中継では、近鉄バファローズの重要な試合に関わることが多く、球団史上初めてリーグ戦を制覇した1975年のパシフィック・リーグ後期優勝決定試合(阪急西宮球場での対阪急戦)や1979年の日本シリーズ最終戦(大阪スタヂアムでの対広島戦。「江夏の21球」で有名)などを担当した[1]。
スポーツ中継以外には1995年@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}頃[いつ?]までは不定期で年数回ニュース(ラジオ中心)も担当していた。1995年11月30日には1度だけ『NHKニュースおはよう日本』でスポーツコーナーを担当していたが、これはNHK労組のストライキによるキャスター代行のためであった。
2000年に定年退職し、フリーとなる。落合博満は『週刊ベースボール』のコラムに「野球が分かっているアナウンサーがまた一人いなくなる」と執筆している。以後は民放のBS・CS放送を中心にJ SPORTSでのプロ野球中継やWOWOWでのテニス、全米プロゴルフ選手権の中継などを担当。