島嶼性(とうしょせい、英語: insularity, islandness)は、島嶼やそこに住む人々ないし生物を特徴づける性質のことを言う。人文地理学・社会学・人類学・経済学・文学・政治学・看護学・生態学・生物地理学など幅広い分野で論じられている。 島それ自体の定義が曖昧であるのと同様に、島嶼性という概念も容易に定義できるものではない。島嶼に共通する特徴として、本土との距離によって生じる隔絶性の大小があり、このほか場所、物理的属性、歴史的状況など様々な状況と結びついて多様な島嶼性の定義が与えられる[1]。島嶼に関する議論はいくつかの分野・言語圏で行われているが、特に大きな英語圏・フランス語圏・日本語圏の島嶼研究コミュニティの間でも、交流はごく限定的である[2]。 地理学的には、隔絶性と狭小性は島嶼性の重要な要件であり、隔絶された小さな島ほど島嶼性が表れやすいとされるが、その基準について論じたものはない[注釈 1][4]。人文・社会科学的には、島嶼性が意味を持つのは主に有人島においてであるが、資源開発が重要な意味を持つ今日では、地政学的な観点から無人島も重要な意味を持つ[5]。また生態学・生物地理学的見地からは、水上の島だけでなく高山(スカイ・アイランド)、湖沼、洞窟などの孤立した生態系も島嶼とみなしうる[6]。島嶼社会学者のバルダッキーノは、人類学者マーガレット・ミードや生物学者などの知見を引きつつ、島嶼性を地理的な島に限らず、孤立性の高いコミュニティ一般にも拡張できる可能性を示唆している[7]。 英語のinsularityという語には、島に生きる人々の心性(「島国根性」)の意味も含まれている。人文社会科学の観点からは、島の自然的特性に由来する特性だけではなく、こうした島嶼性の精神的側面についても議論される場合がある。島の境界(水涯線)は、一方では独自のアイデンティティを生み出す閉鎖的で孤立したものであり、他方では絶対的な境界ではなく流動的で開かれた境界であるという、両方の見解がある[8]。 島に関する学術研究は19世紀のアルフレッド・ウォレスやチャールズ・ダーウィンら動物地理学者に始まり[注釈 2]、その後ジャン・プリュンヌ
概要
概念史
日本国外の議論
フランス語圏の島嶼研究においては、島嶼性に関してアンシュラリテ(insularite)・アンシュラリスム(insularisme)・イレイテ(ileite)の3つの概念が用いられる。アンシュラリテとは自然的条件に基づく島々の特性であり、アンシュラリスムとは社会政治的な孤立主義(島嶼における地域主義)を指す[12]。イレイテは、空間心理学者アブラアム・モル(英語版)の発案する概念で、孤立性に由来する地理的形態に特徴づけられるアンシュラリテに対して、イレイテは表象やメタファーの世界に属し、事実よりも視覚・光景に関係する概念である[13]。
ドイツ語圏では、文学やカルチュラル・スタディーズの中で島嶼性が論じられてきた。人文社会科学における島嶼空間や地理的な島に関する分析は、社会科学の空間論的転回と深くかかわっている。ここでは、空間がたえざる再構築・再定義の過程であり、社会的現実や行動と相互作用するものとみなされ、社会的現実の表れとして島嶼にまつわる文学や言説が分析の対象となった[14]。 島嶼性を定義する試みは、日本では人文地理学によって主導されてきた。とりわけ1950年代に辻村太郎らにより島嶼社会研究会が設立され、離島に関する理論的研究が深められた。当時、多くの地理学関係者が離島振興法の策定などの離島政策に関わっており、政策実施のための理論的根拠が求められていた背景事情があるとみられる[15]。 1950年代の島嶼研究に先鞭をつけ、普遍的な島嶼性を究明する学問としての島嶼地理学の存立基盤を問うたのは、山階芳正
日本での議論
1990年代になると、島嶼の国際的・学際的な研究に対する機運が高まり、社会人類学者マッコールの呼びかけによって1994年、沖縄で国際島嶼学会が開かれるに至った。これを受けて、日本国内でも日本島嶼学会が設立され、学際的見地からの島嶼性の議論が盛んになった。同会の学会長も務めた島嶼経済学者の嘉数啓は、海洋性・狭小性・遠隔性の複合的な特性として多様な島嶼性が生じるとするモデルを示す。このような島嶼の特性を明らかにし、島とは何かという問いに答えるためには、各専門分野の知見を出し合って共同的な問題に迫るという、ミュルダールが提案するところの「超学的アプローチ」が求められていると論じている[16]。
同じく同学会元会長の長嶋俊介は、隔絶性・環海性・狭小性の和集合として島嶼性を位置づけ、共通集合としての「離島性」と区別する。理念的な島らしさの究極である(隔絶された小さな)離島に対して、架橋島や無人島、人工島、島状地なども含まれる多様性をもった「島嶼」概念は、島を相対化し、発展可能性を占ううえでの視座を提供すると論じている[17]。架橋離島を研究する地理学者の前畑利美は、島々の架橋が隔絶性を前提とした島独自の社会関係=島嶼性を弱め、かえって人々の隔絶を強めることになったと指摘している[18]。
経済学者兼光秀郎は「島嶼問題」への分析視角を追求するにあたり、島嶼の特性として(1)環海・狭小・隔絶という地理的特性、(2)遠距離、(3)気象条件の相違、(4)政治的従属性、(5)経済的依存性、(6)医療と少子高齢化などの社会的問題、(7)文化的・精神的孤立性の7つのパラメータを取り上げている[19]。これらのパラメータは島嶼問題の上で有利にも不利にも働く場合があり、問題の捉え方により分析視点も変わりうるが、伝統的な経済分析に則って「距離の横暴」[注釈 3]と経済的依存の克服が重要な課題であるとしている[20]。
文化人類学者の緒方宏海は、地理学・社会学における島嶼性概念を整理するなかで、一部の研究が島嶼の地理的特性と社会的側面を混同してきたこと、また島のもつ場所性が固定的な枠組みとして扱われてきたことを批判的に指摘している[21]。緒方は自身の長山列島での調査の知見をもとに、島嶼性を構成する自然的条件や島民の実践は不変・一様のものではなく、島嶼性は常に社会変化とともに可変性を伴う概念である、と論じている[12]。 研究対象としての島や島嶼性なる概念が有効たりうるのかは、島嶼研究者の間でもながらく議論を呼んでいる。第一に、島嶼にも地理的、社会的、文化的、政治的、経済的に多種多様な条件があり、そこに一貫した論理を求めることは困難である[22]。さらに、グローバル化する社会のなかで島の固有性、アイデンティティが有効な概念たりうるかについても議論がある。これらについて地理学者ピート・ヘイは地理学における「場所」概念が、島嶼研究に対する一貫した理論的枠組みとして有効であろうと指摘している[23]。 島嶼性が人間社会に対して影響を持つという言説は環境決定論的である、という指摘もある。こうした決定論に陥らない島嶼性の定義としては、フィリップ・ペルティエの「島嶼空間とそこに生きる社会との間に構築されるダイナミックな関係」という説明が妥当な落としどころと言える[24]。いずれにしても、島の孤立性がもたらす影響を前もって一般化することは不可能である[25]。 政策的には、1972年の第3回国際連合貿易開発会議(UNCTAD III)において初めて小島嶼開発途上国(SIDS)の島嶼性と隔絶性に結びついた不利益が議論の焦点となり、1992年にはアジェンダ21においてSIDSの名称が初めて明文化された。
批判と課題
政策的位置づけ