.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}島尾 敏雄(しまお としお)
1944年夏の島尾敏雄海軍大尉(当時は少尉)
誕生1917年4月18日
日本・神奈川県横浜市戸部3丁目18番地
死没 (1986-11-12) 1986年11月12日(69歳没)
日本・鹿児島県鹿児島市
墓地福島県南相馬市の共同墓地
職業小説家
言語日本語
国籍 日本
教育文学士
最終学歴九州帝国大学法文学部文科(東洋史)
活動期間1947年 - 1986年
ジャンル小説、随筆
文学活動第二次戦後派
(第三の新人とされることもある)
私小説
シュールレアリスム
アヴァンギャルド
代表作『夢の中での日常』(1948年)
『死の棘』(1960年 - 1977年)
『出発は遂に訪れず』(1962年)
『硝子障子のシルエット』(1972年)
『日の移ろい』(1976年)
『魚雷艇学生』(1985年)
主な受賞歴戦後文学賞
島尾 敏雄(しまお としお、1917年(大正6年)4月18日 - 1986年(昭和61年)11月12日)は、日本の小説家。日本芸術院会員。
大学卒業後に海軍予備学生に志願し第十八震洋特攻隊隊長として、奄美群島加計呂麻島に赴任。1945年8月13日に特攻戦が発動され、出撃命令を受けたが発進の号令を受けぬまま即時待機のうちに終戦を迎えた経験を持つ。「ヤポネシア」という概念を考案したことでも知られる。
作品は超現実主義的な『夢の中での日常』などの、戦争中の体験を描いた作品群、『出発は遂に訪れず』などの作品群、さらに家庭生活を描いた『死の棘』などの作品群に大別される。また、小説作品との決定的な差異はないとされる日記や、紀行文など記録性の高いテキスト群や南島論なども多く書き続けた。
妻はのちに小説家となった島尾ミホ。長男は写真家の島尾伸三で、漫画家のしまおまほは孫にあたる。島尾の浮気に起因する心因性の精神症状に悩む妻との生活を描いた『死の棘』は、小栗康平によって1990年に映画化され、第43回カンヌ国際映画祭にて最高賞パルム・ドールに次ぐ、 審査員グランプリ受賞となった。