島尾敏雄
[Wikipedia|▼Menu]

.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}島尾 敏雄(しまお としお)
1944年夏の島尾敏雄海軍大尉(当時は少尉
誕生1917年4月18日
日本神奈川県横浜市戸部3丁目18番地
死没 (1986-11-12) 1986年11月12日(69歳没)
日本鹿児島県鹿児島市
墓地福島県南相馬市の共同墓地
職業小説家
言語日本語
国籍 日本
教育文学士
最終学歴九州帝国大学法文学部文科(東洋史
活動期間1947年 - 1986年
ジャンル小説随筆
文学活動第二次戦後派
第三の新人とされることもある)
私小説
シュールレアリスム
アヴァンギャルド
代表作『夢の中での日常』(1948年)
死の棘』(1960年 - 1977年)
『出発は遂に訪れず』(1962年)
『硝子障子のシルエット』(1972年)
『日の移ろい』(1976年)
『魚雷艇学生』(1985年)
主な受賞歴戦後文学賞(1950年)
芸術選奨(1961年)
毎日出版文化賞(1972年)
谷崎潤一郎賞(1977年)
読売文学賞(1978年)
日本文学大賞(1978年)
日本芸術院賞(1981年)
川端康成文学賞(1983年)
野間文芸賞(1985年)
デビュー作『単独旅行者』(1947年)
配偶者島尾ミホ(1946年 - 死去まで)
子供島尾伸三(長男)、マヤ(長女)
親族島尾四郎(父)、トシ(母)
美江、雅江(妹)
義郎(弟)
しまおまほ(孫)
影響を受けたもの

ドストエフスキープーシキン
レールモントフ
矢山哲治立原道造
保田與重郎伊東静雄

ウィキポータル 文学
テンプレートを表示

島尾 敏雄(しまお としお、1917年大正6年)4月18日 - 1986年昭和61年)11月12日)は、日本小説家日本芸術院会員。

大学卒業後に海軍予備学生に志願し第十八震洋特攻隊隊長として、奄美群島加計呂麻島に赴任。1945年8月13日に特攻戦が発動され、出撃命令を受けたが発進の号令を受けぬまま即時待機のうちに終戦を迎えた経験を持つ。「ヤポネシア」という概念を考案したことでも知られる。

作品は超現実主義的な『夢の中での日常』などの、戦争中の体験を描いた作品群、『出発は遂に訪れず』などの作品群、さらに家庭生活を描いた『死の棘』などの作品群に大別される。また、小説作品との決定的な差異はないとされる日記や、紀行文など記録性の高いテキスト群や南島論なども多く書き続けた。

妻はのちに小説家となった島尾ミホ。長男は写真家の島尾伸三で、漫画家のしまおまほは孫にあたる。島尾の浮気に起因する心因性の精神症状に悩む妻との生活を描いた『死の棘』は、小栗康平によって1990年に映画化され、第43回カンヌ国際映画祭にて最高賞パルム・ドールに次ぐ、 審査員グランプリ受賞となった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:207 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef