島々駅
島々駅の駅舎を再現した松本市波田観光案内所
しましま
Shimashima
◄新島々 (1.3 km)
所在地長野県東筑摩郡波田町前渕*北緯36度11分6.98秒
東経137度48分31.4秒
島々駅(しましまえき)は、長野県東筑摩郡波田町(現在の松本市波田)前渕にあった松本電気鉄道(現在のアルピコ交通)上高地線の駅である[1]。目次 かつては上高地線の終点駅であり、上高地方面などへのバスが駅前から発着していた[1]。しかし隣の赤松駅が、1965年に梓川3ダム(奈川渡ダムなど)工事の資材運搬拠点となり、さらに翌1966年にはバスターミナルが整備され新島々駅と改称された[2]後は、新島々-当駅間の利用者が減少した。さらにこの区間は1983年、台風による土砂災害で不通となり、そのまま翌年末に廃止[2]、駅舎は1988年春に解体された。 駅舎跡地はバス転回所として使用されている。ホームのあった場所は、付け替えられた国道上である。 駅舎解体後、1.3kmほど離れた新島々駅の向かいに旧島々駅の駅舎を再現した「波田町観光案内所」が建設された[3][4][5][6]。 1921年(大正10年)10月に部分開通した筑摩鉄道は、1922年(大正11年)9月26日に島々駅まで延伸開業して全通した[7]。鉄道免許は、梓川上流の「竜島」まであったが、着工することはなく、島々駅が終着駅となった。北アルプス登山や上高地・乗鞍高原観光への出発拠点駅としてにぎわった[7]。 駅は前渕にあったが、当初から「島々駅」と名づけられた。安曇村(現松本市安曇)島々の登山基地としての当時の知名度の高さと、山岳観光の入り口としてのイメージから命名されたものであろう[2](島々集落は島々駅から西へ2kmほど奥である)。また、筑摩鉄道(後に筑摩電気鉄道、さらに松本電気鉄道に改称)に与えられていた免許区間は、梓川を挟んで島々集落と向かい合う龍島(現松本市波田竜島)までだったが、工事上の至難さから建設は断念された[2]。 観光客・登山客の増加に伴い、周辺に平地の少ないこの駅では、これらの乗降・乗換客に対応するバス・ターミナル用地の確保が困難であり、旧赤松駅にこの機能を移すことにしてバス・ターミナルを新設、1966年(昭和41年)10月1日に旧赤松駅を新島々駅に改称し、島々駅は無人駅になった[7]。1983年9月28日に台風による土砂災害のために線路上に砂礫が堆積し運行が不能、復旧工事をすることなく、そのまま1985年1月1日に正式に廃止となった[7]。 1面2線の島式ホームで、構内踏切を渡ってホーム端から出入りする構造であった。この他、側線1線を有していた[8]。 1■新島々・波田・新村・信濃荒井・松本方面 登山者らから取り壊された島々駅の復元を望む声が強く、1991年に当時の波田町が、松本電鉄に保存されていた図面を基に三千五百万円をかけて新島々駅向かいに波田町観光案内所として新築、出札口や待合室など当時のままに再現した[3][4][5]。 旧駅舎を移設保存されたとする書籍や情報が散見されるが[9][10][11]、前述の通り1988年春に解体・取り壊されており、この建物は島々駅の復元建築である。復元にあたり駅舎の一部の建材は流用されている[6]。 一階は観光案内所と特産物直売所として、二階はギャラリーまたは工芸品作業所として使用されていたが、2016年4月1日に供用廃止された[12]。実際は毎年冬季閉鎖されていたので2015年秋頃に終了。 駐車場は「新島々駅パークアンドライド駐車場」として使われている。 [脚注の使い方]
1 概要
2 歴史
3 駅構造
4 駅周辺
5 松本市 波田観光案内所
6 隣の駅
7 脚注
8 関連項目
概要
歴史
駅構造
2■新島々・波田・新村・信濃荒井・松本方面
駅周辺
梓川
前渕集落
アルピコ交通「前渕」バス停留所
アルピコ交通バスの車庫
新島々駅から西に廃線跡がある。上赤松集落内を通り国道と並走する。御岳社の付近が廃止の原因になった土砂災害現場。その先、前淵集落入り口から廃線跡上に国道が付け替えられており、島々駅ホームがあった場所は、前淵バス停の西側道路上である。
新淵橋
松本市 波田観光案内所
隣の駅
松本電気鉄道
上高地線新島々駅 - 島々駅
脚注
^ a b c d e 信濃毎日新聞社出版部『長野県鉄道全駅 増補改訂版』信濃毎日新聞社、2011年7月24日、304頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:linear-gradient(transparent,transparent),url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:linear-gradient(transparent,transparent),url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:linear-gradient(transparent,transparent),url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration{color:#555}.mw-parser-output .cs1-subscription span,.mw-parser-output .cs1-registration span{border-bottom:1px dotted;cursor:help}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:linear-gradient(transparent,transparent),url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output code.cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-visible-error{font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#33aa33;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 9784784071647。
^ a b c d 『安曇村誌 第3巻 歴史下』安曇村、1998年3月、548ページ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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