峰さを理
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みね さをり
峰 さを理
本名安田 峰子(やすだ みねこ)
生年月日 (1952-07-15)
1952年7月15日
没年月日 (2021-01-30) 2021年1月30日(68歳没)
出生地福井県敦賀市
死没地東京都
国籍 日本
民族日本人
身長169cm
血液型B型
職業女優
ジャンル舞台
活動期間1972年 - 2021年
活動内容1972年宝塚歌劇団入団
1973年星組に配属
1983年:星組トップスター就任
1987年:宝塚歌劇団を退団、以降女優として活動。
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峰 さを理(みね さをり、本名:安田 峰子(やすだ みねこ)、1952年7月15日 - 2021年1月30日)は、日本女優。元宝塚歌劇団星組トップスター。

福井県敦賀市福井県立敦賀高等学校出身。身長169cm。血液型B型。愛称は「ミネちゃん」。
略歴

敦賀市の
かまぼこ店の娘として生まれる。

1971年、宝塚音楽学校に入学。

1972年58期生として宝塚歌劇団に入団。雪組公演『かぐらザ・フラワー[1]で初舞台を踏む。宝塚入団時の成績は48人中2位[1]。同期生に元専科の邦なつき、元花組組長の星原美沙緒、女優の寿ひずる高汐巴がいる。

同年8月、関西テレビの番組「ザ・タカラヅカ!」に出演するユニット「バンビーズ」の8期生に選ばれる。同じく選ばれた寿、高汐とともに、翌年3月までほぼ毎週テレビ出演することとなる。

1973年4月2日[1]星組に配属。寿、高汐と同期生トリオとして使われ、注目を浴びる。

同年9月、『この恋は雲の涯まで』新人公演で主役、源義経を演じる。研2(入団2年目)での新人公演主演は(当時の)新記録だった。その後も新人公演の主役を、多数務める。

1983年瀬戸内美八の後任として、東京公演『アルジェの男/ザ・ストーム』にて星組トップスターに就任。姿晴香が1作のみ相手役を務めた。

1984年南風まいが相手役に。この年後半には湖条れいかも相手役に就任し、異例のダブル娘役トップ体制になる。

1987年11月29日[1]、宝塚歌劇団を退団。最終出演公演の演目は星組・東京公演『別離の肖像[1]』。

退団後は演劇を中心に女優業として活動するほか、日本舞踊家「西崎峰」として舞台活動を行う一方、古巣の宝塚歌劇団で日本ものの振付も手がけている。

2014年、古巣・宝塚歌劇団創立100周年を記念して創立された『宝塚歌劇の殿堂』最初の100人のひとりとして殿堂入りを果たす。

2021年1月30日、甲状腺がんのため、東京都内の病院で死去[2]。68歳没。

所属

日本舞踊 西ア流
家元委員会 委員

社団法人日本舞踊協会 会員

宝塚歌劇団時代の主な舞台
初舞台

かぐら』(演出:渡辺武雄)/ 『ザ・フラワー』(演出:鴨川清作)(1972年)

新人公演主演

この恋は雲の涯まで源義経 役(演出:植田紳爾)(1973年)

アルジェの男』ジュリアン 役(演出:柴田侑宏)(1974年)

屋根裏の妖精たち』ニール 役(演出:高木史朗)(1975年)

ベルサイユのばらフェルゼン 役(演出:植田紳 爾)(1976年)

夕陽のジプシー』 ナノッシュ役 (作・演出:内海重典) (1976年)

風と共に去りぬ』レット・バトラー 役(演出:植田紳爾)(1977年)

テームズの霧に別れを』ロバート 役(演出:柴田侑宏)(1977年)

誰がために鐘は鳴る』ロバート 役(演出:柴田侑宏)(1978年)

ロミオとジュリエット』ロミオ 役(演出:柴田侑宏)(1979年)(宝塚バウホール公演)*バウ主演


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