岸里玉出駅
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「阿部野駅」はこの項目へ転送されています。「阿倍野駅」とは異なります。

「岸ノ里駅」はこの項目へ転送されています。「岸里駅」とは異なります。

岸里玉出駅*
岸里口(2007年3月)
きしのさとたまで
KISHINOSATO-TAMADE


所在地大阪市西成区玉出東一丁目1番17号.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度37分45.1秒 東経135度29分40.7秒 / 北緯34.629194度 東経135.494639度 / 34.629194; 135.494639 (岸里玉出駅*)座標: 北緯34度37分45.1秒 東経135度29分40.7秒 / 北緯34.629194度 東経135.494639度 / 34.629194; 135.494639 (岸里玉出駅*)
駅番号NK 06
所属事業者南海電気鉄道
電報略号キシタマ
駅構造高架駅[1]
ホーム4面5線
乗降人員
-統計年度-7,226人/日
-2019年-
開業年月日1993年平成5年)4月18日[1]
乗入路線 2 路線
所属路線■南海本線
キロ程3.9 km(難波起点)
◄NK05 天下茶屋 (0.9 km) (1.2 km) 粉浜 NK07►
所属路線■高野線**
キロ程4.6km(汐見橋起点)
難波から3.9 km
◄NK05 天下茶屋 (0.9 km) (1.1 km) 帝塚山 NK51►
所属路線■高野線(汐見橋線)***
キロ程4.6 km(汐見橋起点)
◄NK06-1 西天下茶屋 (1.0 km)
乗換阪堺電軌阪堺線東玉出停留場
* 前身として勝間駅(のちに阿部野駅)、岸ノ里駅、玉出駅が存在。詳細は歴史の項を参照のこと。
** 高野線高野山方面の列車は難波発着
*** 当駅より汐見橋方は汐見橋線の通称あり
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岸里玉出駅(きしのさとたまでえき)は、大阪府大阪市西成区玉出東一丁目にある、南海電気鉄道駅番号はNK06。
利用可能な鉄道路線

南海電気鉄道

南海本線

高野線(汐見橋線)


歴史

1885年明治18年)に阪堺鉄道(後の南海本線)が開業した際には現在地付近に駅はなかったが、1907年(明治40年)に玉出駅(たまでえき)が、1913年大正2年)に岸ノ里駅(きしのさとえき)が開業した。高野線の岸ノ里駅は、高野鉄道開業時に開設された勝間駅(こつまえき)を前身とし、阿部野駅(あべのえき)への改称を経て、南海本線と高野線との連絡線が開設された際に南海本線の岸ノ里駅に統合された。

高架化以前は現在の汐見橋線との分岐付近(岸里口付近)に岸ノ里駅が、現在の玉出口付近に玉出駅が存在したが、両駅の駅間距離が僅か0.4kmしかなかったこともあり、1993年平成5年)4月に南海本線が高架化された際に両駅が統合され岸里玉出駅となった[1]

なお、併走するOsaka Metro四つ橋線玉出駅がある(玉出駅 - 岸里玉出駅玉出口間が約650m)。四つ橋線には岸里駅もあるが、当駅より天下茶屋駅が近い(岸里駅 - 天下茶屋駅出入口間が500m弱、岸里駅-岸里玉出駅岸里口間が約600m強)。
年表

1900年(明治33年)9月3日:高野鉄道(後の高野線)が大小路駅(現・堺東駅) - 道頓堀駅(現・汐見橋駅)間の延伸と同時に勝間駅設置[2]

1903年(明治36年)2月26日:勝間駅を阿部野駅に改称[3]

1907年(明治40年)10月26日:南海鉄道(南海電気鉄道の前身)が天下茶屋駅 - 住吉駅間に玉出駅設置[4]

1913年(大正2年)7月25日:南海鉄道が天下茶屋駅 - 玉出駅間に岸ノ里駅設置[5]

1922年(大正11年)9月6日:南海鉄道が大阪高野鉄道を合併。

1925年(大正14年)

2月1日:高野線の阿部野駅を岸ノ里駅に改称し[6]、南海本線の岸ノ里駅に統合。

3月15日:岸ノ里駅東側に南海本線難波方面と高野線堺東方面を結ぶ東連絡線を単線で開設。高野線の列車が難波駅乗り入れ開始。この時点では高野線難波直通列車用のホームは設置されなかったため、当該列車は岸ノ里駅を通過。


1926年(大正15年)12月3日:岸ノ里駅東側の東連絡線を複線化。同駅西側に高野線汐見橋方面と南海本線堺方面を結ぶ西連絡線を複線で開設。

1944年昭和19年)6月1日:会社合併により近畿日本鉄道の駅となる。

1947年(昭和22年)6月1日:路線譲渡により南海電気鉄道の駅となる。

1970年(昭和45年)11月23日:高野線難波直通列車用ホームを設置し使用開始。

1985年(昭和60年)6月16日:高架化工事のため汐見橋線が高野線から分断される。これに伴い汐見橋線用ホームは撤去され、南海本線との交差部の西側手前に仮ホーム設置。

1993年(平成5年)4月18日:南海本線高架化[1]。岸ノ里駅と玉出駅を統合し、岸里玉出駅開業[1]

1994年(平成6年)10月28日:高野線上り線が高架化。

1995年(平成7年)

8月10日:汐見橋線用高架ホーム使用開始。同月23日深夜に汐見橋線の線路は南海本線とつながった。

11月1日:高架化完成。


1996年(平成8年)12月10日:高野線ホームをリニューアル。これをもって一連の工事は終了。

2012年(平成24年)4月1日駅ナンバリングが導入され、使用を開始[7][8]

駅構造高架化前に使われていた高野線旧ホームの跡旧ホームに続いていた階段の跡

合計4面5線のホームを持つ高架駅である。ホーム配置は東から高野線、南海本線、汐見橋線の順。

高野線のホーム(1・2番線)は相対式の2面2線。

南海本線のホーム(3・4番線)は島式1面2線となっており、上り線のみ外側にホームのない通過線が1本存在する。この通過線を5番線として扱っているため、5番ホームは欠番である。南海本線ホームでは、乗車位置案内板が足元だけでなくホーム前の高架壁にも設置されていた(高架化完成時から設置されており、4両分のみ対応)。

汐見橋線のホーム(6番線)は単式1面1線で、南側が行き止まりになっている。また、北側には南海本線への渡り線がある。なお、汐見橋線は当駅構内のみ単線になっている。

駅の難波寄りで南海本線と高野線が大きく分岐している関係上、高野線ホームと南海本線・汐見橋線ホームは連絡通路で繋がっている。しかし距離があることに加え、南海本線・高野線の優等列車は当駅を通過するため南海本線と高野線の相互の乗り換えは、一つ隣の天下茶屋駅での乗り継ぎを奨励している。

高野線は、南海本線の高架化前は地平の南海本線を跨ぎ越して汐見橋方面へ直進していた。地平時代(1984年までの)の汐見橋線のホームは南海本線をまたぐ鉄橋のすぐ東側にあり、その東に高野線と南海本線を結ぶ連絡線分岐、そのさらに東の阪堺電軌をまたぐ位置に高野線旧ホームがあり、汐見橋線ホームと高野線旧ホームは連絡通路で結ばれていた(現在の高野線ホームが帝塚山方に伸びているのは旧ホームの名残である。現高野線ホームの下には旧ホーム時代に使われていた階段が残っている。)。なお、この高野線旧ホームは1970年11月に設置されたもので、それまでは難波発着の高野線電車は各駅停車も通過扱いであったため、汐見橋線の電車が住吉東まで運転されていた。

ホームは3階、コンコースおよび連絡通路は2階にある。改札口は難波寄りの岸里口、和歌山市寄りの玉出口の2ヶ所。高野線ホームの高野山寄りには改札口はない。


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