岸谷五朗の東京RADIO_CLUB
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岸谷五朗の東京RADIO CLUB
愛称レディクラ
ジャンル
バラエティ
放送方式生放送
放送期間1990年10月8日 - 1994年9月30日
放送時間月曜日 - 金曜日 22:00 - 24:00(120分)
※放送開始から1991年4月5日までは22:00 - 25:00(180分)
放送回数1,033回
放送局TBSラジオ
パーソナリティ岸谷五朗
恵俊彰
今田耕司
東野幸治
出演寺脇康文
山田幸伸
尾口えり子
大崎聖二ほか
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『岸谷五朗の東京RADIO CLUB』(きしたにごろうのとうきょうレディオクラブ)は、1990年10月8日から1994年9月30日までTBSラジオで放送されていたラジオ番組。通称「レディクラ」。
概要

1980年代から1990年代に掛けて、民放AMラジオの夜ワイド番組は10代をターゲットにしたバラエティ番組が主流だった。TBSラジオは『吉田照美のてるてるワイド』(文化放送)、『三宅裕司のヤングパラダイス』(ニッポン放送)に苦戦を強いられていた。所ジョージらがパーソナリティを務めた『進め!おもしろバホバホ隊』終了後は他局と一線を画した大人向け夜ワイド番組『ハローナイト』『ロンペーの夜に乾杯!』を放送したがリスナーの人気を獲得する事は出来なかった。

TBSラジオは当番組で、若者向けの平日帯 夜ワイド番組を4年振りに復活。当番組 開始半年前の1990年4月9日[1]からTBSラジオは月曜日から土曜日の若者向けラジオ番組枠を総称した「TBS RADIO 2(TBSレディオクラブ)」を編成。半年後にフラッグシップ的存在として、当番組を開始した。

パーソナリティはスーパー・エキセントリック・シアター(S.E.T.)所属の劇団員(当時)[2]で『三宅裕司のヤングパラダイス』に出演していた俳優の岸谷五朗。お笑いコンビ「ホンジャマカ」の恵俊彰が全期間を通じて、レギュラー出演した。岸谷と恵は番組開始時は無名だったが当番組の開始後は知名度と人気を獲得する。S.E.T.所属の劇団員だった寺脇康文、山田幸伸、尾口えり子(現:おぐちえりこ)も出演した。

番組は投稿コーナー、クイズコーナー、中継コーナーなどの企画で構成。「NAI NAI'91」「ボンビーくん」「長嶋家の謎」が人気コーナーとなり、番組本を出版した。番組内は複数の内包番組(録音)があり、奥居香永井真理子TM NETWORK米米CLUB小川範子などが出演した。

連日の生中継やニューヨークからの生放送。リスナー参加イベント、番組ファンクラブの結成など、スタジオでの生放送を超えた企画も多数 行われた。世界エイズデーに全国で開かれる『AAA?アクト・アゲインスト・エイズ』は当番組がきっかけで開始した。

1994年、俳優としての知名度を上げた岸谷は民放テレビ局のテレビドラマに出演(『この愛に生きて』『妹よ』)。ドラマ撮影の影響で当番組の出演が困難となり、岸谷の出演が一時期は週3日(月、水、木曜日)となった。火曜日は代役パーソナリティが週替わりで担当。金曜日は今田耕司東野幸治が担当。4月以降は『今田耕司と東野幸治の東京RADIO CLUB 金曜特別』の番組タイトルで今田と東野が金曜日パーソナリティを正式に務める事で対応したが「役者業に専念したい」という岸谷の意向と現放送センターへの移転が重なり、『岸谷五朗の東京RADIO CLUB』は1994年9月29日の放送で終了。『東京RADIO CLUB』としては翌30日の放送を以て終了した。番組は足掛け4年間続き、『岸谷五朗の東京RADIO CLUB』の放送回数は全1,007回、『今田耕司と東野幸治の東京RADIO CLUB 金曜特別』の放送回数は26回、通算放送回数は全1,033回だった[3]
放送時間

放送期間放送時間 (JST)
1990.10.081991.04.05月曜日 - 金曜日 22:00 - 翌1:00(180分)
1991.04.081994.09.30月曜日 - 金曜日 22:00 - 翌0:00(120分)


当番組の前に放送された プロ野球中継「TBSエキサイトナイター」の放送終了が22:00を超えた場合は当番組の放送時間を短縮した。大相撲 開催期間中はTBSエキサイトナイター終了後に「大相撲ハイライト」「待ったなし大相撲」が放送されるため、放送時間を短縮した。1992年9月11日はTBSエキサイトナイターの中継カードがプロ野球史上最長の試合時間となり、放送終了が24時を超えたため、当番組を休止した。

出演者
パーソナリティ

期間月曜日火曜日水曜日木曜日金曜日
1990.10.081992.04.03
岸谷五朗
1992.04.061993.10.01岸谷五朗岸谷五朗
恵俊彰
1993.10.041994.04.01岸谷五朗岸谷五朗
恵俊彰岸谷五朗
1994.04.041994.09.30今田耕司
東野幸治


1994年2月 - 6月は岸谷がテレビドラマ『この愛に生きて』(フジテレビ)出演のため、火曜日と金曜日を休演。火曜日は週替わりパーソナリティが担当。宮川賢奥居香サンプラザ中野永井真理子松本明子などが務めた。金曜日は今田耕司と東野幸治が担当。4月 以降は金曜日パーソナリティに昇格。

中継担当

恵俊彰:1990年10月8日から1992年4月3日まで毎日

大崎聖二:1992年4月6日から1994年3月28日まで月曜日

その他出演者

劇団スーパー・エキセントリック・シアター

寺脇康文:番組初期の水曜日レギュラー。1991年後半からドラマ出演の影響で多忙になり、レギュラー出演が終了。その後も番組終了まで不定期出演した。

山田幸伸:番組初期からの不定期出演を経て、1992年5月から1993年9月まで木曜日レギュラー。その後も番組終了まで不定期出演した。

大崎聖二:番組初期から1992年3月まで月曜日レギュラー。その後中継担当へ。

尾口えり子:番組初期から1993年9月まで月曜日レギュラー。その後は「ボンバーズ通信」を担当。

小野真一:番組初期から1992年3月まで月曜日レギュラー。

白土直子:番組初期の月曜日レギュラー。

佐藤浩之:番組初期の月曜日レギュラー。


奥山佳恵 ? 1992年1月から3月まで火曜日アシスタント。

マンスリー・ジェニック ? 1992年4月から1993年3月まで水曜日に出演した、月替わりのアシスタント。

細江真由子ribbonQlair西野妙子諸岡菜穂子宝ひとみ細川ふみえ早坂好恵峠恵子が担当した。


関連番組
岸谷五朗の東京RADIO CLUB 20'S

20代をターゲットにした情報番組。

放送期間:1991.10.11 - 1992.3.27

放送時間:金曜日 24:00 - 24:40

アシスタント:尾崎由美(アシスタント)

岸谷五朗の今夜はできるかな

プロ野球放送期間中に21時台時間調整枠後半部分として放送。1993年のシーズンは22時開始の番組本編準備のため通常18時台から局舎に詰めている岸谷をフライング出演させて対応した。それがこの番組である。

番組名は当時、延長戦ルールの関係で22時を過ぎても試合が終わらず、22時からの番組本編が短縮されることもしばしばあったことに由来する。

安達祐実SMAP出演の10分程度の録音番組を岸谷の短い生放送トークやコーナーでつないだ。

放送期間:1993.04.05 - 1993.10.01


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