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をお願いします。(2020年5月) 日本の政治家岸本 義広
生年月日1897年4月30日
出生地大阪府岸和田市
没年月日 (1965-09-10) 1965年9月10日(68歳没)
死没地山梨県北巨摩郡須玉町
出身校東京帝国大学卒業
所属政党自由民主党
衆議院議員
選挙区旧・大阪府第5区
当選回数1回
在任期間1960年11月20日 - 1963年10月23日
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岸本 義広(きしもと よしひろ、1897年4月30日-1965年9月10日)は、日本の検察官、政治家。衆議院議員(1期)。 大阪府岸和田市生まれ。大阪府立岸和田中学校、第三高等学校を経て、1923年に東京帝国大学を卒業し、同年に検事となる。1945年に東京地検の検事正、1946年に札幌高等検察庁検事長となる。広島高等検察庁検事長を経て、1951年に大橋武夫法務総裁の強い要望で次長検事として中央に復帰(その過程で木内騒動が発生した)[1]。1955年に法務事務次官、1957年に東京高等検察庁検事長となる。在任中の売春汚職事件で、読売新聞によって「売春汚職のため収賄容疑で召喚必至」と報じられた宇都宮徳馬が同紙記者を名誉毀損罪で告訴したため、これを逮捕。花井忠の後任として検事総長への就任が庁内で有力視されていたが、後輩にあたる清原邦一が1959年に同職に就任した[2]。 検察庁を定年退官した1960年の第29回衆議院議員総選挙で、旧・大阪府第5区に自由民主党から出馬し、松田竹千代らを破って初当選。1961年、大阪地検特捜部に公職選挙法違反で起訴される(岸本義広選挙違反事件)。1963年の第30回衆議院議員総選挙で得票数を前回から23,481票も減らし、肥田次郎らに敗れて落選。1964年、大阪地裁の一審で起訴状の28事実のうち12事実が認定され、大阪府議らに320万円を渡して買収したとして禁錮1年3月、執行猶予3年、公民権停止3年の判決が下る[3]。控訴中の1965年9月10日に静養先の増富温泉で心臓麻痺のため逝去[4]。
略歴
脚注^ 読売新聞、1955年1月24日付朝刊、P.2
^ 読売新聞、1959年5月13日付朝刊、P.2
^ 読売新聞、1964年3月9日付夕刊、P.7
^ 読売新聞、1965年9月11日付夕刊、P.9
関連項目
検察庁#特捜検察と公安検察参照
参考文献
『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』衆議院、1990年。
表
話
編
歴
旧大阪5区選出衆議院議員(1947年 - 1993年)
定数3
第23回
小西寅松
西村栄一
平島良一
第24回
小西寅松
平島良一
西村栄一
第25回
小西寅松
西村栄一
松田竹千代
第26回
西村栄一
小西寅松
松田竹千代
第27回
松田竹千代
小西寅松
西村栄一
第28回
小西寅松
西村栄一
松田竹千代
第29回