岩神の飛石
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岩神の飛石。2018年6月2日撮影。

岩神の飛石(いわがみのとびいし)は、群馬県前橋市昭和町三丁目の岩神稲荷神社境内にある火山岩の巨岩である[1]1938年昭和13年)12月14日に国の天然記念物に指定された[2][3]

岩神の飛石の特異性は、周囲の地形とは連続性のない場所に突如として巨大な岩塊が単独で存在する点にあり、周辺は前橋市中心部にほど近い住宅地で、丘陵や岩場などが存在しない、ほとんど起伏のない平坦な場所であるにもかかわらず、周囲約70メートル、地表面からの高さ約10メートルもの巨岩の塊りがポツンと孤立して存在することから、あたかも空中を飛来して来たかのような不思議な印象を与える岩として、古くから「飛石」と呼ばれており[4]、この巨岩そのものが当所に鎮座する岩神稲荷神社のご神体として崇められてきた[5]

この巨岩が古くより人々の関心を集めてきたのは、何故この場所にあるのか、その来歴、その成因が容易に解明されない不可思議な点にあり、国の天然記念物に指定された1938年(昭和13年)当時の調査では、前橋市の北東に隣接する赤城山で10万年以前に起きた火山活動由来のものとされ、それ以降は長期間にわたって「赤城山の噴火活動によって運ばれたもの」とされてきた[6]。しかし、この見解は岩神の飛石の岩体そのものを試料として用いた記載岩石学的地球化学的といった理化学的な分析に基づかないものであったため、この巨大な岩塊が何故ここにあるのかは科学的に解明されないままで[7][8]、様々な可能性が議論され続け、昭和後期頃より一部の地質学者・火山学者らにより、遠く離れた浅間山の火山活動を由来とする新たな説が提唱され始めた[9]。.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}前橋市岩神の
飛石赤城山
(地蔵岳)浅間山
(黒斑山) 飛石の供給源の仮説として挙げられた、赤城山(地蔵岳)と浅間山黒斑山)との位置関係を示した概略地図。
岩神の飛石と赤城山との直線距離約18km
岩神の飛石と浅間山との直線距離約51km。
両者の直線距離の差は3倍弱もある[† 1]

岩神の飛石の供給源の可能性がある火山は大きく分け
前橋から比較的近い「赤城火山起源説」

前橋から遠く離れた「浅間火山起源説」

以上の2説が議論されるようになった[7][10]が、赤城火山と浅間火山の主要な岩質は類似する安山岩の主成分組織をもつ火山岩であるため、岩質の主成分のみを比較対比させ判定の基準にしても、その供給源を確定させることは不可能であった[11]

しかしながら、この岩塊が国の天然記念物に指定されていることから、一部分であっても砕いて採取することとなる調査は、文化財保護法の手続き上の問題があることに加え、この岩塊自体が岩神稲荷神社のご神体であり、かつてこの岩にノミを入れた者が不慮の死を遂げ、ノミを入れた岩から真っ赤なが流れ出た等の祟り伝承が言い伝えられていたこともあって、最新の測定法を用いた理化学的な調査は簡単には行えなかった[12]

長期間にわたり判断基準が見いだせないままであったが、文化庁による天然記念物「指定物件の現状変更」の許可と[13][14]、地元関係者らの理解を得た上で、2013年平成25年)から3ヵ年にわたり岩塊の一部を採取する記載岩石学に基づいた調査が行われた。その結果、ストロンチウム同位体比 (87Sr/86Sr) 測定、および熱ルミネッセンス法(TL法)による年代測定が行われ、その結果、従来推定されていた赤城山由来説は完全に否定され、前橋市から遠く西方に離れた浅間山外輪山黒斑山で、約2万4千年前に起きた山体崩壊により発生した「前橋泥流」によって長い距離を流されて移動し、前橋市中心部にほど近い現在地まで運ばれた「浅間山を供給源とする火山岩」であることが判明した[15][16]

これほど大きな岩塊が浅間山の北側斜面を流れ下り、吾妻川から利根川沿いを火山泥流によって運搬され、浅間山から遠く離れた前橋市の中心付近まで到達し得るという事実は、この出来事が2万4千年前のことであるとはいえ、岩神の飛石の起源解明は中長期的な火山防災の観点からも改めて注目された[17][18]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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