岩男潤子
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いわお じゅんこ
岩男 潤子

プロフィール
本名岩男 潤子[1][2][3]
愛称岩(がん)ちゃん[4]
性別女性
出身地 日本大分県別府市[4][5][6]
生年月日 (1970-02-18) 1970年2月18日(54歳)
血液型AB型[4][7]
職業声優歌手アイドル
事務所岩男潤子オフィス・ZERAPH
配偶者なし(結婚歴あり)
公式サイト岩男潤子オフィシャルウェブサイト
公称サイズ(時期不明)[8]
身長 / 体重155 cm / 45 kg

声優活動
活動期間1994年[3] -
ジャンルアニメゲーム吹き替えラジオナレーション
デビュー作メリッサ・ソーン
(『モンタナ・ジョーンズ』)[9]
音楽活動
活動期間1995年 -
ジャンルJ-POPアニメソング
職種歌手
共同作業者

セイントフォー(1987年)

おさかなペンギン(1995年、2006年、2010年)

声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

岩男 潤子(いわお じゅんこ、1970年[3]2月18日[9] - )は、日本女性声優歌手アイドル大分県別府市[4][5][6]出身。岩男潤子オフィス所属。声優業以外はZERAPHと業務提携している。

初期の頃は、「いわお潤」や「潤」名義で活動していた時期もある[10]
経歴

1970年2月18日に大分県別府市で誕生[3]。幼稚園時代は先生がオルガンを弾く姿を見て家で小さな折り畳みの木琴を鍵盤に見立てて練習をしていたが、ある日幼稚園から家に帰るとアップライトのピアノが置いてあり、ピアノを習わせてもらうことになった[11]。幼少期は、周囲の友人、学校の教師から見て、とてもおとなしい性格だった[12]。皆と遊んでいる様子もなく、あまりにも静かすぎたため、教師から心配されることもあったという[12]。家ではきょうだいの中でも一番明るいほうであり、食事の後、家族に歌を聞いてもらうのが好きだった[3]。一番初めに芸能関係の仕事を目指したきっかけは『おはなしレコード』[12]。物心ついた頃から繰り返し聴いていた『おはなしレコード』を、改めて、小学5年生の頃に聴き直し、「声」で演技をしたり、歌を歌う仕事がしてみたいと思うようになった[12]。心のどこかで、「おとなしい自分を打ち破りたい」という思いがあった[12]。その後、少女時代に赤い鳥松任谷由実などに憧れて、歌手を志すようになる[11]

13歳の時に、雑誌で『ザ・オーディション』のオーディションを知り、「あなたも歌手になりませんか?」というコピーに惹かれ、夢を追って大分から単身で東京へ移住する[2][13][14]。その時、父に猛反対されていたが、両親と「10年間で自分の歌を出せなかったら、あきらめて帰ってくる」と約束していた[15]。しかし、同作は養成所ビジネスのための撒き餌で使われたもので、岩男と共に勘違いさせられて上京した歌手志望者たちと芸能事務所でレッスンを受ける日々を送る[13]。尚、岩男は最終的に『ザ・オーディション』の出演そのものは叶ったが、役柄はエキストラ同然だった[13][16]

その後、女性アイドルグループセイントフォー」の妹分ユニットである「リトルウィング」として人知れず活動したのち、セイントフォーのメンバーである板谷祐三子の脱退に伴い、新メンバーオーディションを受けて合格。1986年に正式メンバーとなり、いわお潤の芸名をもらってデビュー[10][13][14]。しかし、加入時点で解散時期が決まっているなどグループとしての活動が下り坂になっていたことや、板谷のファンからの誹謗中傷、過酷なレッスンで肉体的・精神的に追い詰められ、メンバーの励ましも空しく、解散を待たずに脱退を申し出る。脱退後、家族が事務所に多額のレッスン費などを負担していたことを知り、結果を出せなかった歯がゆさから一時的に芸能界への意欲を失う[13]

その後、明治大学付属中野高等学校[2](定時制)に通いながら高層ビル街の社員喫茶のウェイトレス、クリーニング店の裏方、アンパンマンショーの司会のお姉さん、新聞配達、事務員・販売員などのアルバイトをしていたが、人間のドロドロした部分に触れることになり、「同じ苦しい思いをするなら好きなことをやろう」と思い立ってデモテープとプロフィールをレコード会社に送るなど売り込みを始める[6][13][15]。この頃、潤名義で石井光三とのデュエットソング『ねぇ、お父さん』(『満開!ピープルテレビ』テーマ曲、発売元:ポリドール)のリリース[10]まで結びつく。

声質に関して「子供っぽい」「生理的に受け付けない人が多いかも」と評され、レッスンを重ねていくうちに自信を失う[11]。声優に憧れていたものの、芸能生活に入るとアルバイトやレッスンで多忙だったため、欠かさず見ているアニメなどはなかったとのこと[17]

高校卒業後は童謡の歌唱やミュージカルの歌のお姉さん役、NHK教育テレビはてな・サイエンス』出演などの引き続き芸能活動を続けていたが、いずれも知名度の向上にはつながらず、目標だったソロ名義のシングルは出せないまま、両親と約束の10年の期限が迫っていた[2][6][12][14][15]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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