岩田 聡
いわた さとる
Game Developers Conference 2011にて
(2011年3月2日9時8分23秒 撮影)
生誕 (1959-12-06) 1959年12月6日[5]
日本・ 北海道札幌市
死没 (2015-07-11) 2015年7月11日(55歳没)[5][6]
日本 ・京都府京都市
京都大学医学部附属病院
国籍 日本
教育東京工業大学工学部情報工学科卒業
配偶者あり[7]
子供あり[7]
親岩田弘志(父、元・北海道室蘭市長)[8]
業績
勤務先
ハル研究所(1982年 - 2000年)
任天堂(2000年 - 2015年)
受賞歴
Golden Joystick Awards 2015 生涯功労賞[1][2]
D.I.C.E. Awards 2016 生涯功労賞[3][4]
署名
岩田 聡(いわた さとる、1959年〈昭和34年〉12月6日 - 2015年〈平成27年〉7月11日[5][6])は、日本のゲームクリエイター、プログラマ、実業家[9]。
任天堂の元代表取締役社長で、ハル研究所代表取締役社長なども歴任した[9]。 北海道札幌市真駒内出身[10]。父親が北海道庁観光課に勤務する公務員であったことから、道庁宿舎にて幼年期を過ごした[11]。小学校は札幌市立真駒内曙小学校に入学[10]。小学校6年生の時に札幌冬季オリンピックが開催され、真駒内近隣に建てられた選手村にサイン帳を持って遊びに行く日々を過ごしていたという[12]。また、真駒内競技場で開催されたオリンピック開会式では近隣小学生による「風船スケーター」として、岩田も参加している[13]。札幌市立真駒内中学校に入学すると、合唱部に所属し、新聞配達のアルバイトを始めた[14]。また電電公社が行っていたコンピュータの時間貸しサービス(DIALS)によって、初めてコンピュータゲームという存在に触れたのがこの頃だった[15]。岩田は1994年に出版された『ゲームデザイナー入門』のインタビュー記事にて「毎週日曜日に『ゲーム31』という単純な数字取りゲームを勝つまでやっていた」と当時を振り返っている[15]。 1975年、岩田は当時道内随一の進学校とされていた北海道札幌南高等学校に進学した[16]。高校時代、岩田はヒューレット・パッカード社のプログラム電卓「HP-67
経歴
生い立ち