岩田屋を運営する企業については「岩田屋三越」をご覧ください。
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}三越伊勢丹ホールディングス > 岩田屋三越 > 岩田屋
(旧)株式会社岩田屋
Iwataya Company Limited種類株式会社
市場情報福証 8246
岩田屋(いわたや、英: Iwataya)は、九州最大の繁華街である福岡県福岡市中央区天神に本店を置く株式会社岩田屋三越が運営する日本の百貨店。本店は店舗別売上高において九州最大の売上高を誇る。本店の売り場面積は、本館・新館合わせて48,500 m2。2002年に倒産し長らく、伊勢丹傘下の同名法人によって運営されてきたが、三越伊勢丹グループの経営統合により、現在は三越伊勢丹ホールディングス傘下の株式会社岩田屋三越の運営となっている。 博多の川端にあった呉服商紅屋九兵衛の店で奉公した後、隣接する城下町福岡の大工町にあった薬種商「畳屋」を営んでいた小衛門の小右衛門の養子となって引継いでいた中牟田小右衛門が、同じ福岡の本町にあった呉服商岩田屋平七から岩田屋の屋号と呉服商鑑札を譲り受けて薬種商から転業し、1754年(宝暦4年)に福岡で岩田屋呉服店を開いたのが始まりである[3]。 明治維新後の武家の没落を受けて、城下町だった福岡の需要が減少して急速に商店街が寂れた為、1877年(明治10年)に隣接する商人の町博多の麹町に支店を出して進出した[3]。 この博多支店は1893年(明治26年)に日本の伝統的な帳合を止めて西洋式の簿記を導入し、1903年(明治36年)に初代中牟田喜兵衛が博多支店で従来の掛売りを止めて正札販売に切替えるなど近代化を進めたことが成功して1906年(明治39年)には売上高約11.1万円を上げて博多でトップの呉服店へと成長した[3]。 博多支店を経営していた初代中牟田喜兵衛は、大衆向けの商売への進出を目指して1931年(昭和6年)に博多部の麹屋町の3階建ての洋館に衣料品と日用雑貨を扱う売場面積150坪の岩田屋マートを開いた[4]が、規模の小ささから来る品揃えの悪さなどが響いて業績が低迷し、1年ほどで閉店した[4][5]。
歴史・概要
創業と明治維新への対応
百貨店の開業