「岩田弘」あるいは「岩田弘志」とは別人です。
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岩田 宏(いわた ひろし、1932年3月3日 - 2014年12月2日)は、日本の詩人・作家・翻訳家。
本名の小笠原 豊樹(おがさわら とよき)名義での著作もあり、翻訳家としては主に本名で活動した。
北海道虻田郡東倶知安村(現京極町)出身。娘に作家・翻訳家の目黒条
。伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2018年4月)
1955年、青木書店に入社。「詩学研究会」に投稿して詩人として出発し、様々な文芸誌に数々の詩篇を投稿する。詩誌「今日」「鰐」同人。
1956年、第一詩集『独裁』を上梓して以来、数々の詩集を出し、言葉遊びを駆使した独自の語法による作風を築く。また、詩作の傍らに、ラジオドラマや人形劇への脚本をいくつか書き下ろす。
1958年、イタリア賞を受賞[1]。
1966年には、刊行時点での全詩集からの再録と未収録の詩篇をまとめた『岩田宏詩集』で、藤村記念歴程賞受賞。
1972年に、『岩田宏詩集』以降に発表した詩に加え、短編やショートショートを収録した『最前線』を上梓。1975年の『社長の不在』以後は主に小説を書いた。
岩田名義による創作活動に加え、本名である小笠原名義におけるロシア語・英語・フランス語に堪能な翻訳家としても高い評価があり、ミステリー・SF作品の翻訳を多数手掛ける他、ロシア文学ではマヤコフスキー、ソルジェニーツィンなど、英文学ではジョン・ファウルズ、メアリー・マッカーシーなど、様々な作家による重要な作品を訳している。
2006年、アンリ・トロワイヤの著書の翻訳により、第1回日仏翻訳文学賞
を受賞[1]。2014年、小笠原豊樹名義で執筆した『マヤコフスキー事件』で、第65回読売文学賞(評論・伝記賞)受賞。同年より、マヤコフスキーの長篇詩・戯曲の新訳を断続的に出版する(マヤコフスキー叢書、土曜社)。
2014年12月2日、肺炎により死去[2]。82歳没。マヤコフスキー叢書の新訳は未完に終わったが、以前の版に掲載した岩田による訳稿を再録・復刊する形で叢書の続刊が決まっている。 ※特記のない限りは、いずれも岩田名義。
著作
詩集
『独裁 岩田宏第一詩集』(ユリイカ) 1956
『詩集「いやな唄」』(ユリイカ) 1959