岩田光央
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いわた みつお
岩田 光央
プロフィール
本名岩田 光央
[1][2]
性別男性
出身地 日本埼玉県所沢市[3][4]
生年月日 (1967-07-31) 1967年7月31日(56歳)
血液型A型[5]
職業声優俳優歌手
事務所青二プロダクション[6]
配偶者愛河里花子[7]
著名な家族AKIKO(妹)[8]岩田陽葵(姪)[9]
公称サイズ(時期不明)[11]
身長 / 体重165[10] cm / 53 kg

声優活動
活動期間1975年 -
ジャンルアニメゲーム吹き替え
デビュー作『大草原の小さな家[12]
俳優活動
活動期間1977年 -
ジャンルテレビドラマ舞台
デビュー作『あすも夕やけ』[4]
音楽活動
活動期間1995年 -
ジャンルJ-POPアニメソング
職種歌手
レーベルビクターエンタテインメント
(1995年 - 1999年)
コーエー
(2004年)
Lantis
(2007年 -)
共同作業者CONNECT
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岩田 光央(いわた みつお、1967年7月31日[3][11][13] - )は、日本声優俳優歌手ラジオパーソナリティ[14]埼玉県所沢市出身[3][4]青二プロダクション所属[6]
来歴・エピソード

小学4年生の頃によい映画を見る会という団体が企画した、埼玉県在住の小学生をメインキャストにした教育映画『あすも夕やけ』という作品に、通っていた小学校の代表としてオーディションに参加し、運よく準主役で受かり夏休みいっぱいロケに参加し初出演を果たす。その映画には先生役で風間杜夫や、お母さん役で樹木希林が出演していたりと、教育映画にしてはかなり本格的な作品であった。雨の中で泥まみれになるシーンや、ケンカをするシーンがあったりと、ロケは結構大変ではあったが、子供心にすごく楽しかったという。同作品には小学生が十数人ほど出演していたが、その出演者の中に劇団こまどりに所属していた当時子役だった熊谷誠二がおり、岩田がロケの間、事あるごとに熊谷に「面白いね、面白いね」と言っていると、熊谷から「じゃあ、うちの劇団に来れば?」と勧められる。それを機に、親に「半年くらい劇団に通わせてくれ」と頼み込む[4]

最初は反対されたものの、岩田の粘り強さにとうとう根負けし「そんなにやりたいなら、レッスンにも、仮に仕事が決まったとしても、親は一切ついていかない」という条件付きで許可を貰う。そして、小学5年生の5月14日に劇団こまどりに入団、表現の道へと入る。それ以前は、特に役者志望だったというわけではなく、映画に興味があるとか、演技をしてみたいなんていうことはまったく考えていなかったのだが、現在までこういう世界にいさせてもらっているというのは不思議な感じがするとのこと[4]

中学2年生の時に「Checker's」というバンドを結成。ビートルズヴァン・ヘイレンイーグルスジャーニーオフコースなどの幅広いジャンルのコピーバンドで、ボーカルを担当。スタジオ練習時のデモテープが一本のみ存在するが、現在所在は不明。埼玉県立所沢西高等学校の出身者であり、高校時代は美術部に所属していた。その後東洋美術学校にも通っていたが中退している。同美術学校ではグラフィックデザインを学び、デザイン事務所に就職し、25歳くらいまでデザイナーの仕事を続けていた[4]。しかし役者のほうだけで食べていけるという手応えがあったため、表現の道1本に絞った[4]

生徒役で出演した『1年B組新八先生』で人気者になり、放送当時は雑誌で特集が組まれたり、月にファンレターが1万通届くほどだったという。

小学生の時に『大草原の小さな家』で声優デビュー[12]

風の谷のナウシカ』のオーディションに呼ばれてアスベル役を受けたが、最後の2人まで残ったもののアスベル役は松田洋治に決定され落選したという。また『テニスの王子様』のオーディションに5回呼ばれたが、5回とも落ちたと語っている。

1988年アニメ映画版『AKIRA』の主人公・金田正太郎は岩田の転機となった役となり[12]、『AKIRA』の出演で、声優としての岩田のネームバリューは上がったが、当時所属していた劇団こまどりは声優に特化した事務所ではなかったため営業をしてもらえず、『AKIRA』でのキャリアは「淡々と1本映画をやった」という形だけだった。そのため、声優の仕事が増えず、数年間仕事が来なくて辛かったという。

ここはグリーン・ウッド』6巻(白泉社文庫版)の巻末解説で、声優活動初期には、声優として未熟だったためよく叱られたと語っている。これは役者の演技と声優の演技が異なるためである。また自分を一人前の声優として育ててくれたのは『ここはグリーン・ウッド』だったとも語っている。

ザ・キング・オブ・ファイターズ』シリーズのKUSANAGI(シリーズの主人公である草薙京のクローンまたは幻影)においては『AKIRA』の島鉄雄に酷似したK9999というキャラクターとの特殊デモがある。また、同シリーズ当初、草薙京のボツ案である霧島翔を演じており草薙京の声優として採用候補に挙がっていたという逸話がある。

2010年、イラストレーターのいしいのりえとユニット「カナタ」を結成し[15]、朗読劇『あぶな絵、あぶり声』はシリーズ化している[16]

2013年、第7回声優アワードパーソナリティ賞を受賞[17]

2014年3月31日までは大沢事務所、2019年5月31日まではアクロス エンタテインメントに所属していた[18]。2019年6月1日からは青二プロダクションに所属[19]
挑戦企画

1997年夏に、スーパーカブを駆り東京 - 大阪間をおよそ1週間かけて走破することに成功[20]。さらに同年冬には自動車「岩田煮号」で、大阪を出発して北陸を経由し「爆ジル鍋」の食材探しの旅を行ったこともある[21]。2004年12月17日 - 19日には、ラジオ番組で共演している鈴村健一とともに「野球盤54時間耐久試合」を行った。こちらの詳細は『岩田光央・鈴村健一 スウィートイグニッション』の項を参照。

2006年12月15日 - 17日には、鈴村健一とともに「岩田光央39歳の挑戦 東京?大阪39ヶ所LIVE」を敢行。東京タワーを皮切りに、関東 - 東海 - 近畿へとところどころでライブを開催しつつ進み、大阪 京橋のIMPホール駐車場で最後の39ヶ所目ライブを開催しゴールした。その時に新曲「サンキュー」を熱唱。大盛況のうちに終了したが、16日の午前中は岩田光央本人が東京でアフレコの仕事が入っており、関東から東海にかけての数ヶ所においては鈴村が一人でライブを開催したことから「岩田光央と鈴村健一の挑戦」になったとの指摘もある。しかし本人は、鈴村と別ルートで単独ライブを3ヵ所で行っている[22]
人物

通称は「兄貴(アニキ)」である[23]。これは『ぼくのマリー』でマリの「兄」ひろし、『超兄貴ショー』で「イダテンのアニキ」を演じたことが由来である。

は同じく声優の愛河里花子結婚後、長い間夫婦であることが秘密にされていた[24]軽井沢高原教会で1992年6月13日結婚し、2006年1月17日に第1子(男児)が誕生している。2007年6月で結婚から15年が経過したが、夫婦仲は良く、『超生命体トランスフォーマー ビーストウォーズリターンズ』の収録中、番組では新参者である妻の演技を心配そうに見つめていたと音響監督の岩浪美和に言われた。この光景を見た岩浪は「この夫婦、愛があるな」と思ったという[25]

父は過去に東映に勤めていた時期もある[4]。4人きょうだいの3番目であり[4]、妹は声優のAKIKO[8]。姪(岩田の兄の娘)は、女優兼声優の岩田陽葵[26]。また従姉妹も歌手の高柳千野(CHINO、葉菜)、義弟(愛河の弟)は『岩田光央・鈴村健一 スウィートイグニッション』の構成作家・川添法臣である。
出演

太字はメインキャラクター。
テレビアニメ
1983年


キャプテン(浅間)

1986年


青春アニメ全集(作次)

1987年


エスパー魔美(木村)

1990年


三丁目の夕日(星野六郎、岡本次郎 他)

美味しんぼ(上田)

魔法のエンジェルスイートミント(マロン、ロベール)

1993年


無責任艦長タイラー(コジロー少尉)

1994年


D・N・A2 ?何処かで失くしたあいつのアイツ?(染屋垣麿)

1996年


赤ちゃんと僕(藤井友也)

こどものおもちゃ(田中先生、スージィ)

1997年


ネクスト戦記EHRGEIZ(ジェイ・ストライカー)

勇者王ガオガイガー(1997年 - 2005年、マイク・サウンダース13世[27]、スタリオン・ホワイト[28]、ZX-12肋骨原種[29]) - 2シリーズ[一覧 1]

1998年


ああっ女神さまっ 小っちゃいって事は便利だねっ(ネズミの岩ちゃん=岩田みつお、ガビラ)

頭文字D(1998年 - 2014年、武内樹[30]) - 5シリーズ[一覧 2]

時空探偵ゲンシクン(ゲラ)

DTエイトロン(ガーフィ)

名探偵コナン(1998年 - 2022年、大谷薫、中西三郎、楠田陸道、板橋一八、司会、周藤豪貴、日塚順哉)

1999年


おるちゅばんエビちゅ(マァくん)


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