人口16,921人、面積256.82km²、人口密度65.9人/km²。(2024年4月1日、推計人口)
以下の1町1村を含む。 明治12年(1878年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町1村のほか、下記の区域にあたる。 古くは石背郡とも書いた。中世は二階堂氏によって支配されていた。 知行村数村名
鏡石町(かがみいしまち)
天栄村(てんえいむら)
郡域
白河市の一部(大信下小屋・大信隈戸)
須賀川市の一部(おおむね阿武隈川以西)
西白河郡矢吹町の一部(境町・田内・馬場・本郷町・南町および子ハ清水・東の内の各一部)
歴史
近代以降の沿革
幕末時点では陸奥国に所属した。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。(86村)
幕府領幕府領2村堤村[1]、江持村
旗本領15村今泉村、今泉新田村[2]、下柱田村、稲村、北横田村、里守屋村、上柱田村、越久村、横田村、堀込村、上木野崎村、下木野崎村、泉田村、松塚村[3]、館ヶ岡村
藩領越後高田藩[4]38村長沼村、志茂村、吉兵衛新田村、上大久保村[5]、下大久保村[5]、小岩淵村[6]、大桑原村、山寺村、滑川村、仁井田村、袋田村、矢沢村、畑田村、深渡戸村、町守屋村、成田村(現・須賀川市)、滝村、上江花村[7]、下江花村[7]、勢至堂村、分家浜尾村、浜尾村、中宿村、下宿村、和田村、前田川村、狸森村[1]、大栗村、四辻新田村、田中村、日照田村、市野関村、小作田村、雨田村、上小山田村、下小山田村、小倉村、塩田村
陸奥白河藩29村須賀川村、高久田村、鏡沼村、仁井田村、岩淵村、保土原村、久来石村、高林村、柿ノ内村、小川村、上大里村、下大里村、安養寺新田村、上小屋村、下小屋村、滑里川村、後藤新田村、羽鳥村、田良尾村、湯本村、牧之内村、上松本村、下松本村、上小中村、下小中村、白子村、桙衝村、矢田野村、飯豊村
常陸土浦藩2村牛袋村、木野崎村
慶応2年6月19日(1866年7月30日) - 白河藩主阿部正静が陸奥棚倉藩に転封され、白河藩領は二本松藩の預地となる。
慶応4年2月1日(1868年2月23日) - 阿部正静の白河藩復帰が決定する。
慶応4年8月8日(1868年9月23日) - 郡内の幕府領・旗本領・旧白河藩領が白河民政局の管轄となる。
明治元年12月7日(1869年1月19日)
陸奥国が分割され、本郡は岩代国の所属となる。
白河藩領が磐城守山藩取締地となる。
明治元年12月24日(1869年2月5日) - 阿部氏の白河藩復帰が取り止めとなり、棚倉藩に戻される。
明治2年8月7日(1869年9月12日) - 白河民政局を廃し、白河県を設置。