岩本勉
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出典検索?: "岩本勉" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2014年10月)

岩本 勉ファイターズOBとして登場
(2013年9月3日、東京ドームにて)
基本情報
国籍 日本
出身地大阪府八尾市
生年月日 (1971-05-11) 1971年5月11日(53歳)
身長
体重182 cm
90 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1989年 ドラフト2位
初出場1991年8月20日
最終出場2005年9月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


阪南大学高等学校

日本ハムファイターズ
北海道日本ハムファイターズ
(1990 - 2005)

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

岩本勉
YouTube
チャンネル

岩本勉チャンネル

活動期間2020年5月18日 -
ジャンル野球
登録者数約10万人
総再生回数35,766,479 回
事務所(MCN)playful
チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002023-11-21-00002023年11月21日時点。
テンプレートを表示

岩本 勉(いわもと つとむ、1971年5月11日 - )は、大阪府八尾市出身[注 1]の元プロ野球選手投手)、右投右打。

1999年から2001年までは、岩本 ツトム(読み同じ)の名で選手登録していた。

現役引退後はホリプロに所属し、野球解説者タレントYouTuberとして活動している。愛称は「ガンちゃん」。
経歴
プロ入り前

在日韓国人二世の両親の間に生まれる。母は日本へ帰化していたため、岩本自身は日本国籍だったが、岩本姓は通称であり、当初は姉と弟とともに母の姓である大山が戸籍上の本名であった[1][2]。1995年、父が日本国籍を取得した際に一家で岩本姓となった[2]。弟は、10か月年下で同学年である[3]

阪南大学高等学校では複数のプロスカウトが視察に来る注目選手となったが、3年生のときに後輩の野球部員が起こした傷害事件が原因で大阪大会への出場を辞退する不運に見舞われる[4]1989年のドラフト2位で日本ハムファイターズに入団。契約金は5,000万円、年俸は480万円(金額は推定)。
現役時代

1991年(2年目)に一軍初登板を果たし5試合に登板したが、無勝利に終わった。

1992年イップスを発症。二軍にてバントフォーメーション練習時、ストライクが入らなかったために内野手が何度もバントフォーメーションを繰り返すことになったところ、二軍調整中の先輩内野手が敵意をむき出しにして「おい、お前何回走らすねん」と凄んで執拗に舌打ちを続けたことが原因でイップスとなった[5](youtube上でその先輩の名前を聞かれたとき、岩本は「言えない」としながらも、「四国出身」と述べている[6]。岩本現役時に、四国出身の先輩野手は白井一幸しかいなかったため、事実上特定されている)。結果、前半戦を棒に振り、後半戦に復帰するも二軍で17試合登板で1勝0敗、防御率8.39に終わり[7]、一軍登板はなかった。

1993年は1年間室内練習場の片隅で1日1,000球のネットスローや、後輩の内野手である荒井昭吾に投球を打ってもらうなど、投げる感覚を取り戻すことに専念し、シーズン終盤にイースタンリーグの千葉ロッテマリーンズ戦で実戦復帰した(奇しくも内野フライとなった実戦復帰後最初の打者の打球を捕球したのは、イップス克服に協力した荒井であった[8])。一軍登板はこのシーズンもなく、整理選手候補にも挙がったが、大沢啓二監督の要望で戦力外を免れる。秋季キャンプで、岩本が守備練習の送球は普通に投げられることに気付いた高橋一三コーチのアドバイスにより、その動きを取り入れるためにサイドスローに転向した[9]

1994年には、シーズンを通じてサイドスローを貫き、イースタンリーグで月間MVPを獲得し、3年ぶりに一軍に昇格。勝ち星こそ無かったが9試合に登板する。同年のウィンターリーグではストッパーとして活躍した[9]

1995年、一軍投手コーチに就任した大石清のアドバイスをきっかけにスリークォーターにフォームを変え[9]、7月14日の対西武ライオンズ戦でプロ初勝利を挙げると、ロングリリーフとして結果を残して先発ローテーションに定着。5勝7敗、防御率3.07の成績で、初めて規定投球回に到達した。

1996年、開幕戦が雨で流れたこともあり、結果的にではあるが初の開幕投手を務めた。初の2桁勝利となる10勝を記録した。

1997年、開幕から不調が続き途中リリーフに回るも持ち直し、先発に復帰したが規定投球回には届かなかった。

1998年の開幕直前に、開幕投手予定のキップ・グロスが怪我で離脱し、2年ぶりの開幕投手を任され、西武ドームで西武を相手に4安打で完封勝利を挙げた。球団史上初の開幕戦完封勝利で、完封リレーも過去に1983年後楽園球場阪急戦で2-0で勝利したのみだった(工藤幹夫江夏豊の継投)。シーズンでも前半戦でリーグ10勝一番乗りを果たし、オールスターゲームに初出場し、2000年まで3年連続で球宴に監督推薦で選ばれた。しかし、チームの失速と共に岩本の成績も連動し、後半戦は1勝(4敗)しかできなかった。キャリアで1イニング3被本塁打を3度経験しているが、2度目となった5月8日の対ロッテ戦ではフリオ・フランコ初芝清に連続被弾、佐藤幸彦にランニング本塁打されている。同年は11勝8敗、防御率4.11の成績で、10完投(ロッテの小宮山悟と共にリーグ最多タイ)を記録した。

1999年から登録名を「岩本ツトム」に変更した。


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